ポーラ・ラドクリフ
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ポーラ・ラドクリフ

2011年ベルリンマラソンにおけるラドクリフ
選手情報
フルネームポーラ・ジェーン・ラドクリフ
ラテン文字Paula Jane Radcliffe
国籍 イギリス
種目中距離走長距離走マラソン
生年月日 (1973-12-17) 1973年12月17日(50歳)
生誕地チェシャー州ダーヴェンハム(英語版)
身長173cm
体重54kg
自己ベスト
400m58秒9(1992年)
800m2分05秒22(1995年)
1500m4分05秒37(2001年)
3000m8分22秒20(2002年)
5000m14分29秒11(2004年)
10000m30分01秒09(2002年)
ハーフマラソン1時間06分47秒(2001年)
マラソン2時間15分25秒(2003年)

獲得メダル

陸上競技
世界陸上競技選手権
1999 セビリア10000m
2005 ヘルシンキマラソン
ヨーロッパ陸上競技選手権大会
金2002 ミュンヘン女子10000m


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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、ポーラ・ラドクリフに関連するメディアがあります。

ポーラ・ラドクリフ(Paula Jane Radcliffe、MBE、1973年12月17日 - )は、イギリスチェシャー州ノースウィッチ生まれの女子長距離走マラソン選手。

10kmロードと女子マラソンの元世界記録保持者。ラフボロー大学で近現代語を学んだ。二児の母でもある。喘息の持病がある。
経歴

1973年 ノースウィッチ近くのダーヴェンハムで生まれた。まもなく両親はポーラを小学校入学させるためにバーントン近郊へ移り住む。喘息や貧血症を患いながらも、7歳の時、アマチュアランナーとして活躍する父の影響で長距離走を始めた。まもなく「フォロッドシャームアスレチッククラブ」に所属する。家族がキングスレーに引越し、12歳のときオークリーに移り住むと父親が副会長となった「ベッドフォードアスレチッククラブ」に所属し、マラソン好きの母もまた彼女をサポートするために同クラブのマネジメントを手がけるようになる。シャーンブルックアッパースクール&コミュニティーカレッジ入学クラスメートにはサッカー選手のダン・ホールがいた。ラフボロー大学でフランス語、ドイツ語を学び、近代ヨーロッパ史を専攻し、首席で卒業。

1996年8月のアトランタオリンピックが五輪初出場だった。女子5000mに出走、五輪メダル獲得はならなかったが5位入賞を果たした。

1999年8月の世界陸上セビリア大会の女子10000mではゲテ・ワミに続いて2位に入り、世界大会で初めてのメダル(銀)を獲得した。

2000年4月のシドニーオリンピックの女子10000mでは、序盤から積極的に先頭集団のトップに立ち、ハイペースでレースを引っ張った。レース終盤の残り1周まで先頭にいながらも、ゴール直前のスプリント勝負に屈して4位入賞に留まり、前回のアトランタ五輪に引き続き惜しくもメダルに届かなかった。

翌2001年8月の世界陸上エドモントン大会女子10000mでは、昨年と全く逆にスローペースの集団にもまれながらレースを進め、ゴール直前でスパートをかけたが、またもスプリント勝負に敗れて結果4位に終わる。 

2001年、2002年の世界クロスカントリー選手権を2連覇。

2002年には英連邦競技大会5000mで、世界記録にあと3秒と迫る14分31秒42で優勝。同年のヨーロッパ選手権の10000mでも優勝した。翌年(2003年)の世界陸上選手権パリ大会は故障により棄権したため、この優勝がトラック競技における頂点となった。

2002年7月にはナイトの称号(MBE)を受け、同年BBCが選出する年間最優秀スポーツ選手に選ばれた。

2003年12月に欧州クロスカントリー選手権で2度目の優勝。これはこの大会の10年間の歴史で初となった。
マラソン転向長女のイスラと。(2007年ニューヨークシティマラソン)

初マラソンとなった2002年4月14日のロンドンマラソンでは、スベトラーナ・ザハロワ、リュドミラ・ペトロワ、デラルツ・ツル土佐礼子などの強豪選手相手に積極的に集団を引っ張り、前半ハーフ1時間12分台から後半ハーフ1時間7分52秒の驚異的なビルドアップのレース展開で快走、2時間18分56秒のゴールタイムでいきなりマラソン初優勝、世界歴代2位(当時)の記録を出した。

同年10月13日のシカゴマラソンでは、当時の世界記録保持者だったキャサリン・ヌデレバや、ロンドンでも対決したザハロワ、地元強豪選手のディーナ・カスター、日本からも渋井陽子千葉真子などの有力選手が出場する中、ロンドンとは違い前半からハイペースで飛ばし有力選手を次々とふるい落とし、ヌデレバの記録を1分以上更新する、2時間17分18秒の世界最高記録をマークしてマラソン2連勝を果たす。

そして翌2003年4月13日のロンドンマラソンでは、男子のペースメーカーを用いながらも、序盤から独走で5km15分台の驚異的なペースで進み、自身の記録を約2分近くも更新する2時間15分25秒の驚異的な世界最高記録を打ち立て、初マラソンからのマラソン3連勝を達成した。

2004年8月のアテネオリンピックでは、マラソンと10000mとの2種目で金メダル獲得を目指す事となった(2種目出場は周囲から反対の意見も有り、ラドクリフ自身も当初はどちらか1種目に絞る予定だった)。しかし、女子マラソンでは優勝した野口みずきの25Km過ぎのスパートについていけず、優勝争いから脱落。それから4位に落ちた後36km地点で立ち止まり、悔し泣きしながら途中棄権した。さらに5日後、女子10000mにも強行出場したが、マラソンでの疲労の影響もあって精彩を欠き、ライバルたちに置いていかれた後、8周を残して途中棄権した。結局、2種目ともメダル獲得や入賞はおろか、完走も出来ないまま終わってしまった。気温30度を超える猛暑の影響と、脚の故障による消炎剤の過剰な服用により、内臓に悪影響を及ぼしたことが敗因と言われる[1]

2004年11月7日に行われたニューヨークシティーマラソンにて、アテネ五輪からわずか3ヶ月の間隔でフルマラソン出場、2時間23分10秒でアテネ五輪の雪辱を果たす優勝を果たした。レース後、2位でゴールしたスーザン・チェプケメイに抱き抱えられて祝福された。

2005年4月のロンドンマラソンで2年ぶり3度目の優勝を果たした。途中23マイル地点で腹痛のため15秒ほどロスしたが、序盤から独走で2位に5分以上の大差をつける快走で2時間17分42秒で圧勝し復調を示した。このレースで4回目のサブ20を記録し、現在でも女子マラソン選手のサブ20・回数最多記録として君臨している(2位タイはヌデレバ、メアリー・ケイタニー、ティルネシュ・ディババブリジット・コスゲイの3回)。

同年8月の世界陸上ヘルシンキ大会女子マラソンでは、気温15度を下回る好条件もあって、レース序盤から自らハイペースで飛ばしていった。粘るヌデレバ、コンスタンティナ・トメスクなどの優勝候補選手達を振り落とした後もペースが落ちることなく終盤は独走となり、2時間20分57秒の大会新記録で優勝、初の世界一のタイトルを手にした。

2006年7月に妊娠を発表。2007年1月17日に出産、母子共に元気であると公式HP上にて告知された。同年6月頃より練習を再開させるが、ワイルドカードで出場権があった同年9月開催の世界陸上大阪大会女子マラソンは欠場した。

2007年11月4日に行われたニューヨークシティーマラソンに2年3か月ぶりにフルマラソン出場、2時間23分09秒で復帰戦を制した。

2008年4月13日に行われたロンドンマラソンに出走予定だったが、右足の爪先のケガにより欠場した。その後左臀部に故障を発生し、診断の結果左大腿骨疲労骨折を起こしている事が判明する。

2008年8月17日に開催された北京オリンピック女子マラソンには、同じイギリス代表のマーラ・ヤマウチらと共に出場したが、レース中に足の故障が再発。


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