ポーランド陸軍
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陸軍
Wojska L?dowe
陸軍の紋章
創設1918年
国籍ポーランド
軍種陸軍
兵力兵員62,000人[1]
戦車800両
IFV/APC5000両
ヘリコプター280機[2]
上級部隊ポーランド軍
本部ワルシャワ
行進曲我ら第1旅団(英語版)
主な戦歴ウクライナ・ポーランド戦争
ポーランド・チェコスロバキア戦争(英語版)
ポーランド・ソビエト戦争
ポーランド・リトアニア戦争(英語版)
第二次世界大戦
イラク戦争
アフガニスタン紛争
EUによるチャドと中央アフリカへの派兵(英語版)
指揮
参謀総長(英語版)ライムント・アンジェイチャク中将
軍総司令官(英語版)ヤロスワフ・ミカ(英語版)大将
陸軍監察監ヴォイチェフ・グラボフスキ准将
識別
軍旗
最高指揮官旗
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ポーランド陸軍(ポーランド語: Wojska L?dowe、陸軍)は、ポーランドが保有する陸軍である。現在では約62000人の兵員を有しており、NATO国連平和維持活動により世界中に展開している。歴史上においてポーランド陸軍は約1000年前にまで遡れ、現代のものは1918年第一次世界大戦後の独立に際して新たに誕生したものである。
歴史
1918年 - 1938年

ポーランドが1918年に独立を回復したとき再建された軍隊は、1919年から1921年にかけてのポーランド・ソビエト戦争と、2つの小規模紛争(ポーランド・ウクライナ戦争(1918年-1919年)とポーランド・リトアニア戦争(1920年))に参加した。

当初、第一次世界大戦の直後、ポーランドには5つの軍管区(1918-1921)が置かれた。

ポズナン軍管区、司令部ポズナン

クラクフ軍管区、司令部クラクフ

ウッチ軍管区、司令部ウッチ

ワルシャワ軍管区、司令部ワルシャワ

ルブリン軍管区、司令部ルブリン

ポーランド・ソビエト戦争の準備をしていたポーランド郷土軍は、かつてポーランドを支配していた様々な帝国で勤務していた将兵によって構成され、一部は国際的な志願兵によって支援されていた。合計約30のポーランド師団が関与していたという。ボリス・サヴィンコフは、主にソ連赤軍出身の捕虜20,000人から30,000人から成るを率いており、ディミトリー・メレシュコフスキージナイーダ・ギッピウスも関与していた。ポーランド軍は1918年の約10万人から1920年初頭には50万人以上に増加した。

1920年8月、ポーランド軍の総兵力は737,767人に達しており、その半分は最前線にいた。ソ連が被った損失を考えると、両軍の間には大まかな数値的同等性があった。ワルシャワの戦いの時までに、ポーランド側は兵員数と兵站においてわずかに優位に立ってすらいた。

ポーランド側で編成された主要な部隊の中には、リトアニア・ベラルーシ戦線(フロント、軍集団や方面軍に相当)を含む多くの戦線と、第1ポーランド軍を含む約7つのがあった。
1939年 - 1945年

ナチス・ドイツポーランド侵攻が1939年9月1日に開始されたとき、ドイツ軍はポーランドの激しい抵抗にもかかわらず電撃戦を展開し、またたく間にポーランドの半分を占領した。この戦争の中で、ポーランドの騎兵隊がドイツの戦車隊に向かって突進したという誤った伝説が生まれた。こうした無謀な騎兵突撃は、実際のところ行われていない。またソビエト連邦独ソ不可侵条約の秘密協定に従ってポーランド東部に侵攻し、占領した。ポーランドの敗戦後、残存した将兵たちは再結集を試み、フランス・ポーランド軍(1939-1940年)、のちの西部ポーランド軍となった。

西部ポーランド軍と東部ポーランド軍、そして主に国内軍(AK)に代表されるパルチザンは、第二次世界大戦中に地上部隊として組織された。連合軍として戦う部隊はポーランド空軍と海軍の支援を受けていたが、パルチザン部隊はもっぱら地上部隊のみであった。

今日運用されているポーランド軍は、第二次世界大戦後にポーランド人民共和国を設立するという目的を持つソ連から支援を受けて形成された、ソ連軍の代理部隊に根ざしている。こうして編成されたポーランド軍第1軍と第2軍は、いくらかのポーランド航空部隊によって支援されつつ、東部戦線で赤軍とともに戦った。第3軍の編成も始まったが、完了しなかった。
1945年 - 1989年

第二次世界大戦の終結時、ポーランド陸軍の組織は集中的に発展することとなった。ポーランド戦線を形成するとの構想は取りやめられたが、新たな部隊や兵科が創設された。動員の結果、1945年5月の兵員数は37万人、1945年9月には44万人に達した。解放された地域に軍管区が組織され、管区内にある部隊に対して直接の権限を行使した。

ポーランドに戻った第2軍は、イェレニャ・グラからカミエン・ポモルスキまでの西部国境の保護を任務とし、その司令部をもとにして、ポズナン軍管区参謀部がポズナンに創設された。イェレニャ・グラからウショク駅(ポーランド・ソ連・チェコスロバキアの国境が接する)にいたる南の国境は、第1軍が担任した。その司令部はシレジア軍管区参謀部の基礎を形成した。

第二次世界大戦の終結後の1945年半ば、ポーランド陸軍は、ポーランド人民軍全体の一部として、6つの地区(後に7つの地区)に分割された。これらは、ワルシャワ軍管区(司令部ワルシャワ)、ルブリン軍管区(司令部ルブリン)、クラクフ軍管区(司令部クラクフ)、ウッチ軍管区(司令部ウッチ)、ポズナン軍管区(司令部ポズナン)、ポメラニアン軍管区(司令部トルン、短命に終わったポーランド人民軍第1軍団の参謀部が前身)、1945年秋に創設のシレジア軍管区(司令部カトヴィツェ)であった。

1945年6月、第1、第3、第8歩兵師団に国内警備任務が割り当てられた。第4歩兵師団は、国内保安軍(KBW)を創設する目的で再編成された。この措置は、各歩兵師団を主にウクライナ蜂起軍(UPA)に対して投入し、国内保安軍は武装した地下独立組織と戦うためであった。

しかし、しばしば陸軍部隊は地下抵抗組織と戦い、逆に襲撃を受けることもあった。UPA弾圧作戦の集大成は、1947年に行われたいわゆる「ヴィスワ行動」(ヴィスワ作戦)であった。同時に動員解除が行われ、軍隊は平時の体勢に移った。1945年8月10日、軍隊の「部分的動員解除令」が発令された。次の動員解除段階は1946年2月と12月に行われた。

戦後、軍が直面した最も重要な任務の1つは、大戦以降に設置された地雷の除去であった。1944年から1956年の間に、地雷除去作業には44個の工兵隊と、約19,000名の工兵が携わった。彼らは250,000平方キロメートル以上(国土面積の80パーセント)の担当地域で地雷やその他の弾薬を撤去した。1,475万発の様々な地雷、5,900万発の砲弾、爆弾、その他の弾薬が発見され撤去された。採掘作業は646人の工兵の命を犠牲にした。

1949年、軍管区は4つに縮小され、ポメラニア軍管区(司令部ビドゴシュチュ)、シレジア軍管区(司令部ヴロツワフ)、ワルシャワ軍管区(司令部ワルシャワ)、クラクフ軍管区(司令部クラクフ)となった。1953年11月、クラクフ軍管区は解体され、1992年までポーランドは3個軍管区体制であった。

勝利とポーランド国境の西方移動の後、これらの軍隊やポーランド将兵はソビエト連邦に忠実であると考えられ、ワルシャワ条約機構の一部を形成する軍隊へと発展した。ポーランド軍は有事には、NATOの中央欧州連合軍を攻撃するために配備される第2の戦略的梯団の一部を形成していただろう。1958年に結成されたポーランド戦線司令部は、1955年以降に結成された3つの部隊である第1軍・第2軍・第4軍とは別に、有事の動員を目的として各軍の地区内に編成されることになっていた。

ポーランド戦線司令部は1990年に廃止され、三個軍の動員計画も同様に放棄された。共産主義時代のポーランドの陸上部隊には、国内治安維持を目的とする領土防衛軍(OTK)と、国境警備を担任する部隊が含まれていた。


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