ポーランド王領プロシア
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ポーランド王領プロシア
Prusy Krolewskie
Konigliches Preusen

1466年 - 1772年


(国旗)(国章)

1575年のポーランド=リトアニア同君連合王国のうちの当該領域
ポーランド王領プロシア(Royal Prussiaと記載)と
プロシア公領(Ducal Prussiaと記載)

首都不明
元首等
xxxx年 - xxxx年不明

変遷
成立1466年10月19日
ルブリン合同により
ポーランド王国の一部となる1569年7月1日
プロイセン王国に併合される1772年8月5日


ブランデンブルクとプロイセンの歴史
ノルトマルク
先史 - 12世紀プルーセン
先史 - 13世紀
ブランデンブルク辺境伯領
1157 - 1618 (1806)ドイツ騎士団国
1224 - 1525
プロシア公領プロイセン公国
1525 - 1618 (1525 - 1701)ポーランド王領プロシア
1466 - 1772
ブランデンブルク=プロイセン
1618 - 1701
プロイセン王国
1701 - 1772
プロイセン王国
1772 - 1918
プロイセン州
1918 - 1947
ブランデンブルク州
1947 - 1952 / 1990 - 現在ヴァルミア県、マズールィ県
1945 - 1999
ヴァルミア=マズールィ県
1999 -カリーニングラード州
1946 -

ポーランド王領プロシア(ポーランド語:Prusy Krolewskie、ドイツ語:Konigliches Preusen)は、近世ヨーロッパに存在した地域区分。ポーランドおよびドイツの歴史的な支配領域の一つ。
概要

1466年第二次トルンの和約によって成立した、ポーランド王を君主としたプロイセン(プロシア)地方の領域である。1569年ルブリン合同によってポーランド・リトアニア共和国が成立すると、ポーランド王国の領土となり、1772年第一次ポーランド分割によってプロイセン王国に併合されるまで存続した。

プロシア公領とは異なることに注意。ポーランド王領プロシアはポーランド王国の領土。プロシア公領はポーランド王国を宗主国とするポーランド王国の従属国であり、1660年にポーランド王国から独立した領域である。 第二次トルンの和約で成立したポーランド王領プロシア(1466年 - 1772年、ポーランドの領土)の区分。青はポメレリア、赤はクルマーラント、緑はエルビングマリーエンブルク、黄色はヴァルミア司教領(エルムラント)
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