ポートヒューロン
市
Port Huron
青年期のトーマス・エジソンの銅像
後ろの橋はブルーウォーター・ブリッジ
愛称: Maritime Capital of the Great Lakes
(五大湖沿岸の首都),
Gateway to Canada(カナダへの出入り口)
セントクレア郡内の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯42度58分49秒 西経82度26分15秒 / 北緯42.98028度 西経82.43750度 / 42.98028; -82.43750
ポートヒューロン(Port Huron)は、アメリカ合衆国ミシガン州の都市。セントクレア郡の郡庁所在地である[4]。人口は2万8983人(2020年)。セントクレア川に架かるブルーウォーター・ブリッジによって、カナダ・オンタリオ州のサーニアと結ばれている。
ポートヒューロンはヒューロン湖の最南端、またミシガン州の最東端に位置する。市内には2つの製紙工場があるほか、観光業や自動車産業が盛んである。また、歴史のあるダウンタウン、遊歩道、マリーナ、博物館、灯台、総合娯楽施設などが特色である。ポートヒューロンは1955年と2005年にオールアメリカ・シティー・アワードを受賞している。トーマス・エジソンが少年時代を過ごした都市としても知られている。 1814年にヒューロン湖の付け根にあたる位置にグラティオット砦が建設され、これがこの地域における最初のヨーロッパ系アメリカ人の入植だと考えられる。ポートヒューロンの一部は1836年までオジブウェ族の特別保留地であった[5]。 1857年にポートヒューロンは市制を敷いた。造船と木材交易の成功により、市の人口は1850年代以降急速に増加し、1870年までには周辺の村をしのぐ人口を抱えるまでになった。1871年にポートヒューロンは最高裁判所によって郡庁所在地に指定された[6]。 しかし1871年10月8日の日曜日にポートヒューロンとその北側のサニラック郡、ヒューロン郡は大火に見舞われた。同日にはホランド、マニスティー
歴史
1895年には、かつてのグラティオット砦近隣のフォート・グラティオット村を併合した[7]。
1962年に市から数マイル北にあるレイクポートで、民主的社会を求める学生(Students for a Democratic Society)という政党が結成された。彼らはそこで政党のマニフェストであるポートヒューロン宣言(Port Huron Statement)を起草した。 以下はミシガン州のヒストリカル・マーカー(歴史看板)に認定されている場所である。
歴史的建造物
セントジョゼフ砦(Fort St. Joseph):1686年にフランス人探検家ダルースによって建設された砦で、ロウアー半島において2番目のヨーロッパ人の定住地であった。この砦はエリー湖とヒューロン湖を結ぶ重要な水路の最上流部を守っていた。また五大湖上流部からのイギリス人交易者の進入を阻む目的もあり、1687年にはフランスとインディアン連合軍の動員拠点となった。砦は1688年に放棄されたが、砦の跡は1814年に建設されたグラティオット砦の一部となった。砦があった場所は、現在は公園になっている。
フォート・グラティオット灯台(Fort Gratiot Light
ヒューロン灯台船(Lightship Huron):1935年から1970年まで、ヒューロン湖南側の危険な浅瀬の目印として配置されていた。