ポートセントルーシー市
City of Port St. Lucie
ポートセントルーシーにあるPGAゴルフクラブ
愛称 : PSL
標語 : A City for All Ages[注 1]"
位置
フロリダ州におけるセントルーシー郡(右図)とポートセントルーシーの位置(左図)
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯27度16分33秒 西経80度21分28秒 / 北緯27.27583度 西経80.35778度 / 27.27583; -80.35778
ポートセントルーシー(英: Port St. Lucie)は、アメリカ合衆国フロリダ州南部セントルーシー郡の都市である。マイアミの180km北に位置する。2000年の人口は8万8769人に過ぎなかったが、2010年は16万4603人に増加した[2]。2020年の人口は20万4851人だった。都市圏人口は約44万人。 ポートセントルーシー市域に残るスプルース・ブラフ古墳(高さ約5.5メートル、直径約58メートル)は、先住民のアイス族(英語) 現在ポートセントルーシーとなっている場所はホワイトシティ地域[注 2]南側の土地であり、1950年代にはほとんど住人がおらず、釣り用のキャンプとわずかな農場と企業がアメリカ国道1号線付近にあるだけだった。1958年、不動産開発会社のジェネラル・デベロプメント[注 3]が5,000万ドルでリバーパーク開発地とセントルーシー川北支流沿い40,000 エーカー (16 km2) の土地を購入し、翌1959年にはセントルーシー川に架かる最初の橋を開通させ、ポートセントルーシーに直接自動車で入れるようにした。 1961年2月25日にはポートセントルーシーに250戸の住宅ができていた。そこでジェネラル・デベロプメント社はリバーパーク開発地に沿った70マイル (112 km) を市として制定するよう州議会に要請した。1961年4月27日、州議会下院議員ルパート・スミスの提案した下院法案953号が成立し、州知事C・ファリス・ブライアントの承認によってポートセントルーシーは市となったが、制定当時の市はリバーパークの住民が編入を望まなかったため、住民ゼロの状態でスタートした[4][5]。 1990年代に入ると、別の不動産開発会社コア・コミュニティーズ(CC社)[注 4]が後にセントルーシー・ウェストとなる土地を取得し開発を開始した。CC社の当初の計画では7平方マイル (18 km2) の土地に20年間で約14,000戸の家屋を建てる予定であったが、この土地が地理的に重要な位置を占めていることに気付いた同社は単なる住宅地にとどまらない複合開発へと舵を切る。CC社はビジネス地区や娯楽施設用の地区の造成に乗り出し、その結果、町に7,000もの雇用機会を創出して、2000年代前半を通した拡大と成長の基礎を固めた[6]。 2006年、CC社は新たに「トラディション」地区の開発に着手。この地区は州間高速道路95 号線とガトリン・ブールバードの交差点西側に位置し、開発前は大きな牛の牧場だった。そこに1,300万平方フィート (120万平方メートル) の総床面積を持つ商業地域と18,000以上の住居スペースを確保した。コア・コミュニティーズのウェブサイトによれば、「トラディション」は州間高速道路95号線沿いのカナディアン・ブールバードに至るまでの不動産開発では最も広範な規模の開発であるとしている。1950年代の町をモデルにして、「貴方が育つ町」として広告宣伝された。この地域の中心である「トラディション広場」では年間を通じてさまざまな催しが行われている[6]。2009年にはCATV事業者HGTVの「グリーンホーム2009」キャンペーンの賞品として「トラディション」地区の住宅が採用された。また、「退職後に住みたいアメリカの地域100選」にも2度選ばれている[7]。 2007 年、米国の住宅市場が崩壊し始めると、その影響がポートセントルーシーにも及んだ。2009年2月時点の失業率は10.5%となり、2008年には 11,000戸近くの住宅で抵当権が執行され、持ち主が担保の受戻権を喪失した。2009年2月、アメリカの公共ラジオ放送局ナショナル・パブリック・ラジオ (NPR) は「大打撃の成長都市、緊急対策を検討」[注 5]と題する特集番組で、セントルーシー郡政委員の1人がポートセントルーシーを「災害地域」に指定して郡の緊急予算1,700万ドルを投入し、事態の改善を図るべきだとの主張をしていることを報じた。同委員によれば、緊急予算を組み入れれば、交通予算などその他の費目とあわせて2,000万ドルから3,000 万ドルの資金を研究パーク建設や高規格道路を含むインフラ整備に費やすことができるということであった[8]。これに対し、ポートセントルーシー市当局はこの報道がNPRのWeb版に掲載された翌日、市が厳しい財政状況に置かれていることは認める一方で、自然災害時の備えとして蓄えられている緊急予算を投入することは不適切であり、NPRが報道した内容は1人の郡政委員の意見に過ぎず、市は「災害地域」宣言を行うことを検討してもいなければ、経済破綻状態にあるわけでもないと反論した[9]。 2008 年、トーリー・パインズ分子生物学研究所とワクチン・遺伝子治療研究所を含む4つのバイオテクノロジー研究機関が入居するトラディション・センター・フォー・イノベーション[10]の設立が決定し、これに関連するものだけでも30,000以上の新規雇用機会がポートセントルーシー市に創出されると期待された[6]。 2009 年度に入ってからも、警察官51名を含む常勤の市職員154名の削減が決定されるなどポートセントルーシー市では険しい緊縮財政運営が続けられているが、その一方では助役代理の年俸が14%上積みされたことに対して厳しい批判が浴びせられた。市では、組織改正にともない助役代理の責任範囲が拡大したことを挙げ、給与の増額は正当であるとしている[11]。 2010年9月22日、ポートセントルーシーの現職市長パトリシア・クリステンセンが公文書偽造(選挙運動資金の収支報告書の虚偽記載)と選挙運営資金の着服の嫌疑により逮捕され、同日中に同市長は辞任を表明した[12]。
歴史
前史・開拓期
都市開発初期
都市開発(1990年代以降)
住宅危機以降
地理
Size:55 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef