日露戦争の講和条約であるポーツマス条約が結ばれた「ポーツマス (ニューハンプシャー州)」とは異なります。
ポーツマス
シティ・オブ・ポーツマス
City of Portsmouth
ポーツマスの臨海部(2008年)、右の建造物がスピンネーカー・タワー
旗
愛称: ポンペイ (Pompey)
標語: Heaven's Light Our Guide
イングランドにおける位置
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ポーツマス(Portsmouth, [?p??tsm?θ][ヘルプ/ファイル])は、イギリス(イングランド)のハンプシャー南部にある、イギリス海峡に面した都市。イギリスで唯一、島嶼部に位置する都市で、ポートシー島に都心がある。ロンドンから南西70マイル (110 km)に位置する。行政は単一自治体である。ポーツマスの街、ポーツマスFCの両方がポンペイ(pompey)の愛称で呼ばれる。漢字表記は波都毛士。
人口は20万5100人(2011年国勢調査)、郊外を含む都市圏は85万5679人。ポーツマス都市圏の面積 (15.54平方マイル (40.2 km2))は、イングランドで11位である。
1世紀以上の歴史がある軍港であり、世界で最も古い乾ドックが現役で使用される。ネルソン提督の旗艦HMS ヴィクトリーなどの多くの有名な軍艦の母港となってきた。近年、ポーツマス海軍基地は軍事拠点としては衰えたものの、イギリス海軍とイギリス海兵隊の基地と造船所は維持されており、依然として司令部が置かれている。ヨーロッパ大陸に向かう貨物輸送や旅客輸送向けの商業港も栄えており、フランス北部とスペインへのフェリーが定期的に発着している。
近年は、スピンネーカー・タワーが新たなランドマークとなるなど、臨海部の再開発が進行している。再開発地域は、ガンワーフ・キーズとして知られている。ポーツマス市の2倍以上の人口のポーツマス都市圏には、フェアラム、ポーチェスター、ゴスポート、ハヴァント(郊外のリー・パークを含む)、リー・オン・ザ・ソレント、スタヴィトン、ウォータールーヴィルなどの町々がある。近年の都市圏は、サウサンプトン寄りのハヴァントを通過するM27/A27道路や、北のクランフィールドを通るA3道路の沿線にまで拡大している。 ローマの支配を受ける以前からポーツマスの地域には村落があった。ポートチェスター
歴史
ドゥームズデイ・ブックには、ポーツマスについて触れられていない。しかし、村落は後にポーツマスの一部として追加された。この時、ポーツマスの地域に200から300人の住民が定住していたと見積もられた。ポートシーには1166年よりも前から小さな教会があったのに対し、ポーツマスに建設されたのは1181年である。聖アウグスティノ修道会のサウスウィック修道分院は、ヘンリー8世の宗教改革まで存在した。イギリス国教会の現代的なポーツマス大聖堂は、この修道会があった位置に建設された。
1194年に獅子心王リチャードが第3回十字軍へ参加するため、かつてジャン・ド・ジゾールがそうやったように艦隊と兵士をポーツマスへ召集した。同年5月2日、リチャードは経費を削減するため、ポーツマスに王室特許状を与えた。裁判所の建設ともに定期的に市場の開放が行われ、税金の免除がなされた。
新たに王座に就いたジョン王は、1203年にフィリップ2世との戦争のため、イギリス海峡に面する海軍基地の強化に乗り出し、イングランドの各造船所から1隻以上の軍艦を徴集した。ポーツマスには、最初のドックと聖ニコラウス病院が建設された。13世紀にもポーツマスはフランス攻撃の拠点として、ヘンリー3世とエドワード1世らが常用した。
14世紀頃には、商業の大きな発展があった。港での最大の取引はバイヨンヌとボルドーからのワインであり、他にもウール、穀物、小麦、ホソバタイセイ(ウォード)、蝋、鉄などを輸入した。サウスシー・キャッスル
百年戦争の勃発によって、フランス艦隊は1338年にポーツマスを急襲した。この攻撃で教会と病院は残存したが、町の大部分は破壊された。エドワード3世は、これを再建するため、免税の措置をとった。さらに急襲から10年後には、初めて黒死病の流行による人的被害を受けた。ポーツマスの再生を脅威として、フランスは1369年、1377年、1380年と度々攻撃を繰り返したため、1418年にヘンリー5世はポーツマスへ要塞の建設を命じた。木製のラウンド・タワーが港の入り口に建設され、1426年に完成した。