ポンペイウス劇場
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ポンペイウス劇場
ポンペイウス劇場
所在地第9区域 キルクス・フラミニウス
建設時期紀元前55年
建設者グナエウス・ポンペイウス
建築様式ローマ劇場
関連項目

共和政ローマ, マルクス・アントニウス, マルクス・ユニウス・ブルトゥス, マルクス・リキニウス・クラッスス, ユリウス・カエサル暗殺, ポンペイウス,ポンペイウス劇場, キケロ, 第一回三頭政治
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ポンペイウス劇場(ラテン語: Theatrum Pompeium、イタリア語: Teatro di Pompeo)は古代ローマの建築物で、共和政ローマ後期に建設された。完成まで7年かけ、紀元前61年に着工し、竣工前の紀元前55年に使用開始となった[1]。ローマ初の恒久的(木造でない)劇場であり、何世紀にもわたって世界最大の劇場と言われていた。

この建築物はローマ劇場の原形と言われている。それ以前のギリシアの劇場は地面を円形に掘る形で構築されていたが、ポンペイウス劇場では初めて完全に自立した石造りの構造となっている。その後、ローマ帝国内で建設された劇場はこれを手本とし、そこに若干の変更を加える形で建設された。ポンペイウス劇場は古代から近代までを通して、世界最大の劇場とみなされてきた。

この劇場の歴史は長いが、特にユリウス・カエサル暗殺された場所として有名である。
歴史復元図

グナエウス・ポンペイウスは二期目の執政官の任期中に、政治家としての人気を勝ち取るべく自らの名を冠した劇場の建設資金を出した[2]。単なる劇場としてだけでなく、様々な用途で使われた。全てのローマ劇場には "crypta" があるが、この劇場のcryptaは非常に大きい。舞台の後ろに位置しており、観客が上演と上演の合間にそこで飲食物を購入したり、日差しや雨から逃れるために柱廊玄関(ポルチコ)に行くために使った(客席に屋根がないため)。ポンペイウス回廊 (Porticus Pompei) には偉大な芸術家や俳優の像が並んでいた。長いアーケードには絵画や彫刻が展示されているだけでなく、その広い空間が公的な集会に適していたため、ローマ人は観劇以外にも様々な理由でそこに赴いた。

この建築物の最も高い部分はウェヌス・ウィクトリクスの神殿であり、ポンペイウス個人の神である(これに対してユリウス・カエサル個人の神はウェヌス・ゲネトリクスだった)。現代の学者の中にはそれが純粋な信心を表したものではないと考え、基本的に劇場に神殿が付属しているのは、その建築物が自己宣伝の贅沢なものと見られるのを避け、常設劇場建築物への非難に打ち勝つためだったと言われている[3]

劇場に繋がっていた東側のポルチコと4つあった神殿のうちの3つの遺跡がトッレ・アルジェンティーナ広場にある。これらの神殿は古くから劇場と関連付けられていた。4つめの神殿の大部分は現代のローマの通りの下に眠っている。この遺跡はベニート・ムッソリーニの命によって1920年代から1930年代に発掘された。劇場本体の遺構は Via di Grotta Pinta 周辺の地下からわずかだけ見つかっている。付近のレストランの地下室にこの劇場の本来のヴォールトが残っており、ホテル Albergo Sole al Biscione の壁の一部もこの劇場のものである。このことから、劇場の建築物を完全に解体する以前から、何世紀にも渡ってその建築物を改造して利用してきたことがうかがえる。一階部分や観客席の一部と同様に劇場の基礎部分も現存しているが、その上の構造は何度も建てかえられ、今では現代の建築物の一部になっている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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