ポントス
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この項目では、アナトリアの地方名について説明しています。その他のポントスについては「ポントス (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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ポントス地方ポントス王国最大領域(ミトリダテス6世統治時期)

ポントス(Π?ντο?)は、アナトリア地方の黒海南岸、特に南岸のうち東部の地方名である。過去にはポントス人の中心地であった。ヘレニズム時代よりの歴史を有し、現在はトルコ共和国領内に属している。なお、ラテン語表記に基づきポントゥス(Pontus)とも呼ばれる。
歴史
ポントス王国

ポントス王国(紀元前281年 - 紀元前64年)は現在のクズルウルマク川が発祥の地となり、当初はアケメネス朝(ペルシア)の属国的な位置づけにあった。ペルシア系の王朝として、ミュシア(Mysia)にあったギリシア都市キウスを治めていたアリオバルザネス1世やミトリダテス2世が初期の王として知られる。ディアドコイ戦争ではアンティゴノス1世に服属するが、アンティゴノスの戦死により、ミトリダテス2世は紀元前281年にポントス王ミトリダテス1世と称して、独立した。

肥沃な土地に面し穀物などが豊富に取れ、鉱物資源も豊かであり結果的に、ポントス王国は強大な国家へと変化していく。

ファルナケス1世の頃近隣諸国に進出し、スィノプを占領し、以後この都市が王国の首都となったが、同じヘレニズム系の国家であったアンティゴノス朝マケドニアアッタロス朝ペルガモン王国共和政ローマへ併合され、セレウコス朝プトレマイオス朝が衰退する中で、ポントス王国もローマの圧力に直面することとなった。

紀元前120年に即位したミトリダテス6世は、コルキスボスポロス王国を服属させ、スキタイ人を破って黒海沿岸を制覇した。更にローマの属国であったビテュニアカッパドキアへの侵略に及んだことから、ローマはこれを口実としてミトリダテスと戦争状態に突入した。紀元前88年から3次にわたるミトリダテス戦争でポントス王国は敗北を喫した。紀元前63年にミトリダテスの息子ファルナケスがミトリダテスを自殺に追い込み、ローマに降伏したことでミトリダテス戦争は終結した。ローマ軍の司令官グナエウス・ポンペイウスはファルナケスを後継のポントス王に任命した。
ローマ属州ポントゥス属州の位置

ポントスはポンペイウスの勢力下に置かれることとなったが、ポンペイウスがガイウス・ユリウス・カエサル派との内戦状態に突入したことにより、ファルナケス2世は周辺地区への侵略を開始したが、ポンペイウスを破り、エジプトを押えたカエサル率いるローマ軍にファルナケスはゼラの戦い(紀元前47年8月)で敗北した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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