ポロヴェツ族
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、民族について説明しています。その他の用法については「キプチャク (曖昧さ回避)」をご覧ください。
13世紀初期のキプチャク勢力圏。ルーシ年代記』で見られるポロヴェツ人の一家。

キプチャク[注釈 1](Kipchaks)は、11世紀から13世紀にかけて、現在のウクライナからカザフスタンに広がる草原地帯に存在したテュルク系遊牧民族ルーシの史料[注釈 2]ではポロヴェツ(ポロヴェッツ)、東ローマハンガリーの史料ではクマンと記された[1]

現在のカザフスタンからモルドバにかけて広がる平原地帯は、当時キプチャクの名前にちなんでキプチャク草原(Dasht-i Qipch?q)と呼ばれた。またのちにキプチャク草原を支配したモンゴル帝国ジョチ・ウルスが通称キプチャク・ハン国と呼ばれるのはこのためである。
名称

乞卜察兀タ、欽察兀タ…『
元朝秘史』による表記。

欽察(Q?ncha)、欽叉(Q?nch?)…『元史』による表記。「キプチャク」を漢字転写したもの。

可弗叉…『西遊録』による表記。

克鼻稍…『黒韃事略』による表記。

キフシャーク(Khifsh?kh)、キフチャーク(Khifch?kh)、キプチャーク(Qip??q)…イスラム文献による表記。語源は「空洞の樹幹」という意味の「qob?q」。[2]

ポーロヴェツ(露)(ポロヴェツ(宇)、Половец)、ポーロフツィ(Половци)…ルーシの年代記である『原初年代記』,『キエフ年代記』,『ガリーチ・ヴォルイニ年代記』による[3]。意味は「平原の民」[4]、或は「黄ばんだ色の人々」[2]

クマン(Kuman,Cuman)…ビザンツ帝国ハンガリー王国の記録による。クバン川に由来する[1]

クン(Kun・複数形Kunok)…ハンガリー語で現在も使われている。

概要13世紀前半における周辺国。

キプチャクはテュルク系の遊牧民で、11世紀ヴォルガ川方面から黒海沿岸のステップに進出し、ペチェネグに代わって新たなルーシ諸国の脅威となる。1091年東ローマ帝国アレクシオス1世を助けて、バルカン半島のペチェネグ軍を壊滅させるが、キエフ・ルーシに対しては度重なる襲撃と略奪を行い、1096年にはキエフ・ペチェルスキー修道院を焼失させた。12世紀初頭、キエフ・ルーシの公スヴャトポルク2世ウラジーミル2世モノマフは一連のポロヴェツ(キプチャク)遠征を企てて成功を収め、ポロヴェツ(キプチャク)はドン川流域にサルチャク・カンの少数の軍が残る程度となる。サルチャクの弟オトロクは四方のポロヴェツ(キプチャク)を連れてグルジア王国のダヴィド王に仕えた。1125年、ウラジーミル2世モノマフが没し、ルーシ諸侯の抗争が激化すると、ポロヴェツ(キプチャク)は諸侯によって敵対・協力の関係をとるようになり、定住したり、通婚したりする者が現われた。なお12世紀初頭から、ポロヴェツの長を、ルーシの長と同じクニャージと称する記述が年代記にみられるようになるが、これはルーシ諸公とポロヴェツ族との関わりの深化を示唆するものである[5]。1170年 - 1180年代になると、ポロヴェツ(キプチャク)は再びルーシに侵攻し、キエフ公スヴャトスラフや、ノヴゴロド・セーヴェルスキー公のイーゴリといったルーシ諸侯と激闘を繰り広げた。1223年、2回にわたるモンゴル軍の侵攻により、キプチャクはその版図に組み入れられ、キエフ・ルーシともどもジョチ・ウルス領となる(このためジョチ・ウルスはキプチャク・ハン国とも呼ばれる)。一部のキプチャク人はマジャールの地に移住し、ハンガリーの傭兵となった。[6]
歴史
伝承による起源

キプチャク族に関する伝承として、オグズ汗のとき、妊娠中の女性が巨樹の穴に入って産んだ子がキプチャク族の始祖になったという挿話が伝えられる。これは女性が樹霊の庇護のもとに安産したという意味にもとれようが、むしろそれは変形した伝承の形であり、もともとは巫女が樹霊をうけて妊娠し、その子を産んだというのであったかもしれない。これはウイグルナイマンなどのテュルク系の諸族に共通する樹霊伝承としてよく語られる。[7]オグズがイト・バラク部族と戦い、敗北を喫した時、彼は二つの川の流れによって形成された島にとどまり、そこに住み着いた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:109 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef