ポロニウム210
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ポロニウム210
核種の一覧
概要
名称、記号ポロニウム210,210Po
中性子126
陽子84
核種情報
天然存在比極微量
半減期138.376 ± 0.002 日
親核種210mPo (IT)
210Bi (β-)
214Rn (α)
210At (β+)
崩壊生成物206Pb
同位体質量209.9828737 u
スピン角運動量0+
余剰エネルギー?15953.1± 1.2 keV
結合エネルギー7834.345 keV
崩壊モード崩壊エネルギー
α5.40746 MeV

ポロニウム210 (Polonium-210・210Po) とは、ポロニウムの同位体の1つ。
天然での存在210Poはウラン系列の中に存在する核種の1つである。

210Poは、天然に存在するほぼ唯一のポロニウム同位体である[1][2]半減期は138.376日という寿命の短い放射性同位体であるが[3]、天然に豊富に存在する238Uから始まる崩壊系列であるウラン系列の中に存在する核種であるため、常に極微量ながら補充される核種だからである。その量は極めてわずかであり、天然ウラン1トンに対してわずか74μgしかなく、ウランの約135億分の1であり、地殻に含まれる割合は約178ppt程度である[注釈 1]。しかし、その量における放射能は約120億Bqに達する[注釈 2][4]。天然ウラン1トンの放射能は約254億Bqであるため[注釈 3]、天然ウランに含まれる210Poの比放射能は天然ウランの約半分に達する。わずかな量でも強い放射能を有する性質が、後述するポロニウムの発見につながった[1]。238Uから210Poに至るまで、7回のアルファ崩壊と6回のベータ崩壊を経由する。また、大気1m3には0.2mBqから1.5mBqの210Poが含まれている[4]

厳密に述べれば、ウラン系列では214Po218Po、他の崩壊系列では211Po、212Po、215Po、216Poが天然に存在する。しかし、半減期が最も長い218Poでも3.10分、その他の核種は1秒未満しかないため、全くのゼロというわけではないが、実質的に存在しないと見なすことが出来る。また、210Poより寿命の長い核種に209Poの102年、および208Poの2.898年があるが、これらの親核種はいずれも天然には存在し得ない極めて短命な核種しか存在しないため、これらは天然には全く存在しない[3]
崩壊210Poが206Pbに崩壊する壊変図式。206m2Pbに分岐してガンマ線を放出することはあるが、それは極めてわずかである。

210Poは、その100%が約5.4MeVアルファ粒子を放出し、安定同位体である206Pbに変化する[3]。稀に核異性体である206m2Pbに分岐し、核異性体転移での崩壊に伴うガンマ線を放出することがある。ガンマ線のエネルギーは約4.6MeVであるが、分岐はわずか0.00124%という非常に低確率である。同じようにアルファ崩壊をする核種である239Pu241Amなどと異なり、エネルギーピークは1つであることを特徴とする[5]。また、アルファ線の作用により、210Poの周辺の空気は励起光を発する[2]

210Poの親核種としては、210Biが最も著名である。210Biは先述したウラン系列において210Poの前に相当する核種であり、半減期5.013日をもって99.99987%がベータ崩壊によって210Poに変化する。そのほか、214Rnのアルファ崩壊、210Atの陽電子放出がある[3]

また、210Poには、核異性体である210mPoがある。210mPoはわずか98.9ナノ秒で核異性体転移をして210Poに壊変する[3]
歴史ピッチブレンドは210Poを含む。詳細は「ポロニウム」、「ピエール・キュリー」、および「マリ・キュリー」を参照

210Poは、初めて発見されたポロニウムの同位体である。210Poは1898年ピエール・キュリーマリ・キュリー夫妻によって発見された。発見のきっかけは、ウラントリウムを含むピッチブレンド放射線量を測定した結果、ウランやトリウムから推定される数値の約4倍という、はるかに多くの放射線を測定したことである。キュリー夫妻はこれを未知の元素によるものと推定し、高価なピッチブレンドの代わりに、ヨアヒムスタール鉱山で産出したウラン鉱石の残渣数トンから数ヶ月の時間を使って成分の抽出・分離を行った結果である。なお、1902年には別の化学者が同じくピッチブレンドから放射性のテルルを発見し一時論争となったが、後に同じ物質である事が確認された。ポロニウムの名はマリ・キュリーの故郷であり、当時ロシア帝国の占領下にあったポーランドに因んでいる。マリは当時ポーランドを独立・解放する運動に強い関心を寄せていた。その後12月にキュリー夫妻によって発見されたラジウムに因み、名称が決定するまでは暫定的に「ラジウムF (Radium F) 」と呼ばれた。なお、発見されたポロニウムの原子量は、ドミトリ・メンデレーエフ1891年に発表した周期表で予測した原子量である212に近い数値であった。周期表の発表時は未発見であったため、暫定的に「エカテルル (ekatellurium) 」と呼ばれた。エカテルルすなわちポロニウムの化学的性質は、周期表で予測されたとおりテルルと類似していた。1911年にマリに贈られたノーベル化学賞は、ポロニウムおよびラジウムの発見の功績に対して贈られた[1][2][6]
生成・用途

先述したとおり、210Poはウラン鉱石中にわずかしか含まれていないため、鉱石からの抽出は現実的ではない。人工的に210Poを得るには、209Bi中性子線を照射し、中性子捕獲で210Biになったものが210Poにベータ崩壊して生じたものを使用する。1kgの209Biを原子炉で1ヶ月間照射して得られる210Poは3000億Bqであり、質量で約1.7mgである。厚さ0.1mmの209Bi板に加速した10MeVの重陽子を10日間照射して得られる210Poは400億Bqであり、質量で約0.2mgである[4]

  83 209 B i   +   0 1 n   ⟶     83 210 B i   → 5.012   d a y s β −     84 210 P o {\displaystyle \mathrm {^{209}_{\ 83}Bi\ +\ _{0}^{1}n\ \longrightarrow \ _{\ 83}^{210}Bi\ {\xrightarrow[{5.012\ days}]{\beta ^{-}}}\ _{\ 84}^{210}Po} }


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