ポルトガル時間
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欧州の標準時
青冬:西ヨーロッパ時間UTC+0
夏:西ヨーロッパ夏時間UTC+1
空色通年:西ヨーロッパ時間UTC+0
赤冬:中央ヨーロッパ時間UTC+1
夏:中央ヨーロッパ夏時間UTC+2
黄土冬:東ヨーロッパ時間UTC+2
夏:東ヨーロッパ夏時間UTC+3
淡黄通年:カリーニングラード時間UTC+2
緑通年:極東ヨーロッパ時間モスクワ時間UTC+3

ポルトガル時間(ポルトガルじかん、ポルトガル語: Hora portuguesa)ではポルトガル標準時について記す。同国では2つの標準時があり、夏時間を採用している。ポルトガル大陸部(英語版)とマデイラ諸島ではUTC+0アゾレス諸島ではUTC-1を使用している。夏時間(ポルトガル語: Hora de Verao)は、毎年3月の最終日曜日から10月の最終日曜日まで全国的に実施され、ポルトガル大陸部とマデイラ諸島はUTC+1を、アゾレス諸島はUTC+0を使用する[1]
歴史

19世紀初頭に、ポルトガルは平均太陽時を採用した[2]。海軍(リスボンに配置)とコインブラ天文台は同国の位置する経度での法定時間となる太陽時を計算した[2]。1861年にリスボン天文台(英語版)が設立され、1878年には平均太陽時を計算し、それを国の公共機関へ通報するという独占的な権限を与えられた[2]。そして実際に、ポルトガルの標準時はリスボン天文台の経度での平均太陽時と定義され、後にGMT-0:36:45と計算された[3]

1911年に、ポルトガルの標準時は1884年に開かれた国際子午線会議に従って定義されるべきであるとされた[4]。1911年5月26日の政令により、ポルトガル及びポルトガル海上帝国の標準時の改正が承認された。しかし、ポルトガルの大陸部は大部分が西経7度30分の子午線より西側、地理的にUTC-1に相当する位置にあるが、UTC+0が採用された[4]。同法律により、UTC-2がアゾレス諸島とポルトガル領カーボベルデ(en)で、UTC-1がマデイラ諸島とポルトガル領ギニアで、UTC+0がサントメ・プリンシペサン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダで、UTC+1がポルトガル領アンゴラで、UTC+2ポルトガル領モザンビーク(en)で、UTC+5ポルトガル領インドで、UTC+8ポルトガル領マカオポルトガル領ティモールでそれぞれ採用された[4]。これらの標準時は1912年1月1日に採用された[4]

夏時間は、第一次世界大戦中の1916年に初めて実施され、期間中は時刻が1時間進められた[2][3][5]。同年、夏時間は6月17日から11月1日まで実施されたが、その後1921年までは6月1日から10月14日まで実施された[2][3]

夏時間は、1920年代から1930年代にかけて毎年実施され続けたが、開始日と終了日が頻繁に変更されたり、中断した年(1922年から1923年、1925年、1930年、1933年)もあった[3]

第二次世界大戦中の1942年から1945年にかけては、夏時間の期間中に時刻を1時間進めただけでなく、その数ヶ月の間に時刻をさらに1時間進めた「二重夏時間」も実施された[3]。第二次世界大戦終結後の1945年以降、二重夏時間は廃止され、通常の夏時間が引き続き実施された[3]。1948年に、4月の第1日曜日から10月の第1日曜日まで夏時間を実施することが承認された[6]。1966年以降、夏時間は通年実施されるようになったため、実質的にポルトガルは時間帯を西ヨーロッパ時間(UTC+0)から中央ヨーロッパ時間(UTC+1)に変更した[3][7]。しかし、その後日の出日没が生活時間に合わず、多くの苦情が集まった。冬の朝、人々は真っ暗な空の下で仕事に行き、9時に学校の授業が始まったとき、太陽はまだ昇り続け、最終的に家から学校までの登校の安全、学生の成績にまで影響を与えた[8]。さらに、1970年代にはオイルショック(第一次)を受け、エネルギー節約として夏時間を再導入するという考えが、ポルトガルだけでなくヨーロッパ全体でも力を増した[9]。しかし、通年でUTC+1を使用している他の国では非常に多くの不満があがっていたため、夏時間を再導入するのであれば、中央ヨーロッパ夏時間(UTC+2)を採用することが認められることは決してないということは政策立案者には明らかであった。そのため、唯一の解決策は標準時間として西ヨーロッパ時間を再採用することであった。1976年に、ポルトガルは標準時として西ヨーロッパ時間を採用した[8]。夏時間は、通常4月上旬から9月下旬にかけて、西ヨーロッパ夏時間として毎年実施されるようになった[3][8]。1981年からは、3月の最終日曜日から9月の最終日曜日まで実施されることとなった[3]

1986年に、ポルトガルの時間はグリニッジ標準時に代わって協定世界時に従って計算されるようになった[2][10]

1992年、アニーバル・カヴァコ・シルヴァ政権時代に法令124/92により、本土は正式に時間帯を西ヨーロッパ時間から中央ヨーロッパ時間に変更した[3][11]。1966年の中央ヨーロッパ時間移行時とは異なり、夏時間が3月の最終日曜日から9月の最終日曜日までの中央ヨーロッパ夏時間として実施されることになっていた[3][11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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