この項目では、フォーミュラ1のレースについて説明しています。ロードレース世界選手権のレースについては「ポルトガルグランプリ (ロードレース)」をご覧ください。
Portuguese Grand Prixアルガルヴェ・インターナショナル・サーキット
レース情報
周回66
コース長4.648 km (2.905 mi)
レース長306.768 km (191.730 mi)
開催回数26
初回1951年
ポルトガルグランプリ(ポルトガルGP, Portuguese Grand Prix)は、ポルトガル国内で行われていたF1グランプリのレースである。 1958年と1960年にポルト(ボアビスタ)で、1959年にモンサントで、1984年から1996年までエストリルで行われた。1996年を最後にF1カレンダーから脱落していたが、後述の理由で2020年にポルティマンのアルガルヴェ・サーキットでポルトガルGPが復活。翌年の2021年も結果的に開催されることとなったが、2022年以降はF1カレンダーに記載されず、2021年の開催が最後となっている。 1961年以降開催が途絶えたポルトガルグランプリは、1984年にエストリルで復活した。エストリルでのポルトガルGPでのあわやという出来事はしばしば注目を集めた。 1951年-1957年及び1964年はスポーツカーレース、1965年-1966年はF3レースとして開催された。 年決勝日ラウンドサーキット勝者コンストラクター
概要
主なレース
1984年シーズン最終戦として開催され、このレースを2位でフィニッシュしたニキ・ラウダが優勝したアラン・プロストを0.5ポイント差で下してチャンピオンを獲得した。
1985年豪雨の中決勝レースが行われ、アイルトン・セナがF1キャリア初のポールポジション及び初優勝を挙げた[1]。
1987年プロストがF1通算28勝目を記録し、当時のF1最多勝記録を更新した。また予選ではゲルハルト・ベルガーが初のポールポジションを獲得した。
1988年レース1周目の終了時にマクラーレンのセナがチームメイトのプロストに対し直線で幅寄せし、2人の確執の始まりを予感させた。
1989年フェラーリを駆るナイジェル・マンセルがピットインの際にオーバーランし、定位置までリバースギアで逆走する違反を犯した。マンセルはピットインを命ずる黒旗を提示されたがそのまま走行を続け、第1コーナーでセナと接触し、共にストップした。黒旗に従わなかった事とプロストとチャンピオンシップを争っていたセナをリタイアさせた事で、マンセルの行動は論議を呼んだ。マンセルはこのレースを失格とされ、続くスペインGPへの出走を禁じられた。
1990年ポールポジションを獲得したマンセルは、スタート直後にチームメイトでセナとチャンピオンシップを争っていたプロストに対して幅寄せするような挙動を見せた。予選2位だったプロストは同3位のセナに抜かれ、最終的にマンセルが優勝、セナが2位、プロストは3位となった。マンセルはこの年限りでフェラーリを去ることが確定しており、この幅寄せは物議を醸した。
1991年レースをリードしていたマンセルは、ピット作業ミスによりピットレーンでタイヤが外れた。タイヤをピットの所定外の場所で取り付け直して出走したために失格となった。
1992年決勝レース中、ピットに向かうベルガーに、その直後を走行していたリカルド・パトレーゼが追突した。マシンは上方へと跳ね上げられ、あやうくコース上に架かるブリッジに衝突する寸前だった。激しいクラッシュながら、両者ともに怪我は無かった。レースはマンセルが制し、年間9勝目を達成し当時の年間最多勝及び年間最多ポイント獲得記録(108ポイント)を更新した。
1995年
2020年1996年を最後にF1カレンダーから脱落していたが、2017年頃にポルティマンのアルガルヴェ・サーキットがF1側と交渉[2]を行い、グランプリ復活へ向けた動きを見せたが進展はないままであった。ところが、2020年、新型コロナウイルス感染症の拡大により開催できなくなったレースが多数発生したため、スケジュールの見直しが余儀なくされ、その過程で同コースでのポルトガルGP開催が急浮上[3]。最終的に2020年7月24日にシーズン第12戦としてアルガルヴェ・サーキットでのF1開催が発表された[4]。このレースでルイス・ハミルトンが通算92勝目を挙げ、ミハエル・シューマッハを抜いてF1通算勝利数の単独トップとなった[5]。
過去の結果と開催サーキット
ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
(括弧内はプライベートチーム)結果
195106月17日非選手権ボアビスタ カシミーロ・デ・オリヴェイラ