『ポルティチの唖娘』(ポルティチのおしむすめ、フランス語: La Muette de Portici)または『ポルティチの物言わぬ娘』は、ダニエル=フランソワ=エスプリ・オベールが1827年に作曲し、翌1828年2月29日にパリのオペラ座で初演された全5幕から成るオペラである[1]。
概要ジェルマン・ドラヴィーニュ
リブレットはウジェーヌ・スクリーブ及びジェルマン・ドラヴィーニュ(フランス語版)のフランス語のものによる。物語は1647年7月7日にナポリで魚小売商のマサニエッロがスペインに対して起こした一揆を題材に、マサニエッロの妹で口をきけなくなった娘フェネッラを中心に展開される。主役フェネッラがしゃべれないという設定なので、初演以来この役はバレリーナによって演じられることが多い。また、オペラの終幕でヴェスヴィオ火山が噴火するというドラマティックな設定が当時大いにうけ、上演回数を増やしていき、1828年の初演以来1880年までにパリだけで500回上演を記録した[2]。19世紀ヨーロッパにおいて最も人気のあるオペラという地位を確立するとともにグランド・オペラ様式を確立した作品としても名高い。マサニエッロを演じたアドルフ・ヌーリ
ロッシーニの『ギヨーム・テル』(1829年)やマイアベーアの『悪魔のロベール』(1831年)、『ユグノー教徒』(1836年)、『預言者』(1849年 )、『アフリカの女』(1865年)やジャック・アレヴィの『ユダヤの女』(1835年)、ドニゼッティの『ラ・ファヴォリート』(1840年)、エクトル・ベルリオーズの『トロイアの人々』、ジュゼッペ・ヴェルディの『シチリアの晩鐘』(1855年)や『ドン・カルロス』(1867年)などの先駆けとなった重要な作品である。しかし、19世紀後半以降上演機会は減っていき、近年では全曲上演は少なく、序曲のみが独立して演奏される機会が多い[2]。なお、タイトルは上記の他に『マサニエッロ』(Masaniello)と呼ばれることもある[3]。
『新グローヴ・オペラ事典』では「口の利けないフェネッラがパントマイムだけで演じるというアイディアはウォルター・スコットの『 ピークのペヴァリル(英語版) 』 (1823年)や街頭劇のメロドラマから着想を得たものだが、当初から構想に含まれていた」。さらに「『ポルティチの唖娘』は演出家、台本作家、舞台美術家、衣装担当者が共同で制作する新しい機会を提供し製作者たちはナポリ革命の歴史的背景も詳細に研究した。終幕でのヴェスヴィオ山が噴火するというクライマックスの影響はマイアベーアや同時代の作曲家によるグランド・オペラにとどまらず、ワーグナーの『神々の黄昏』にまで及んだ。このオペラはブリュッセルのモネ劇場での1830年8月25日の上演でベルギー独立革命を引き起こしたことから、革命のシンボルと見なされるようになった」と解説している[4]。英国初演は1829年 5月4日にロンドンのドルリー・レーン劇場にて『マサニエッロ』というタイトルで上演された。アメリカ初演は同年11月9日にニューヨークのパーク劇場にて行われた[5]。
振付と舞台装置フェネッラを演じたリーズ・ノブレ