この項目では、ポーランド史の人物について説明しています。韓国で活動している女優については「エバ・ポピエル」をご覧ください。
ポピエル(アレッサンドロ・グアグニーニ
ポピエル (Popiel) は、9世紀ポーランドの伝説的な君主。ポピエル王、ポピエル公とも。
ゴプウォ湖 (Gop?o) のほとりのクルシュヴィツァ (Kruszwica) に住み、ポラン人とゴプラン人を統治した。
年代記によると、苛政を行ったとされる。ポピエルの12人の叔父たちがポピエルを権力の座から引き摺り下ろそうと謀ったが、ドイツ出身の妃の意見を容れたポピエルは機先を制し、宴に招いて叔父たちを毒殺し、遺体をゴプウォ湖へ投げ込んだ。
このポピエルの所業を見た民たちが暴動を起こした。これに驚いたポピエルと妃は湖のほとりの塔に逃げ込んだ。すると、殺された叔父たちの遺体から沸いたネズミの群れがその塔に向けて雪崩れ込み、2人はネズミに生きながら食べられたという。
ゴプウォ湖のほとりに古い塔があり、「ネズミ塔」という愛称がつけられている。しかしながらこの塔はクルシュヴィツァ城の一部としてポピエルの時代より約500年下った1350年に建てられたもの。
表
話
編
歴
ポーランド君主
伝説的な首長
レフ1世
クラク1世
クラク2世
レフ2世
ヴァンダ
レシュコ1世
レシュコ2世
レシュコ3世
ポピェル1世
ポピェル2世
ピャスト
半伝説的な首長
シェモヴィト
レシェク
シェモミスウ
ピャスト朝
ミェシュコ1世963?992
ボレスワフ1世992?1025
ミェシュコ2世1025?1031
ベスプリム1031?1032
ミェシュコ2世(復位)1032?1034
カジミェシュ1世1039?1058
ボレスワフ2世1058?1079
ヴワディスワフ1世ヘルマン1079?1102
ズビグニェフ1102?1107
ボレスワフ3世クシヴォウスティ1102?1138
ヴワディスワフ2世ヴィグナニェツ1138?1146
ボレスワフ4世ケンジェジャヴィ1146?1173
ミェシュコ3世スタルィ1173?1177
カジミェシュ2世スプラヴィエドリヴィ1177?1190
ミェシュコ3世スタルィ(復位)1190
カジミェシュ2世スプラヴィエドリヴィ(復位)1190?1194
レシェク1世ビャウィ1194?1198
ミェシュコ3世スタルィ(復位)1198?1199
レシェク1世ビャウィ(復位)1199?1202
ミェシュコ3世スタルィ(復位)1202
ヴワディスワフ3世ラスコノギ1202?1206
レシェク1世ビャウィ(復位)1206?1210
ミェシュコ1世プロントノギ1210?1211
レシェク1世ビャウィ(復位)1211?1227
ヴワディスワフ3世ラスコノギ(復位)1227?1229
コンラト1世マゾヴィエツキ1229?1232
ヘンリク1世ブロダティ1232?1238
ヘンリク2世ポボジュヌィ1238?1241
ボレスワフ2世ロガトカ1241
コンラト1世マゾヴィエツキ(復位)1241?1243
ボレスワフ5世フスティドリヴィ1243?1279
レシェク2世チャルヌィ1279?1288
ヘンリク4世プロブス1288?1290
プシェミスウ2世1290?1296
プシェミスウ朝
ヴァツワフ2世1296?1305
ヴァツワフ3世1305?1306
クヤヴィ・ピャスト朝
ヴワディスワフ1世ウォキェテク1306?1333