ポピエル
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この項目では、ポーランド史の人物について説明しています。韓国で活動している女優については「エバ・ポピエル」をご覧ください。
ポピエル(アレッサンドロ・グアグニーニ画、1581年)ネズミ塔クルシュヴィツァ城。1655年8月12日のスケッチによる版画。ネズミ塔の愛称で呼ばれる塔には屋根がついている。

ポピエル (Popiel) は、9世紀ポーランドの伝説的な君主。ポピエル王、ポピエル公とも。

ゴプウォ湖 (Gop?o) のほとりのクルシュヴィツァ (Kruszwica) に住み、ポラン人とゴプラン人を統治した。

年代記によると、苛政を行ったとされる。ポピエルの12人の叔父たちがポピエルを権力の座から引き摺り下ろそうと謀ったが、ドイツ出身の妃の意見を容れたポピエルは機先を制し、宴に招いて叔父たちを毒殺し、遺体をゴプウォ湖へ投げ込んだ。

このポピエルの所業を見た民たちが暴動を起こした。これに驚いたポピエルと妃は湖のほとりの塔に逃げ込んだ。すると、殺された叔父たちの遺体から沸いたネズミの群れがその塔に向けて雪崩れ込み、2人はネズミに生きながら食べられたという。

ゴプウォ湖のほとりに古い塔があり、「ネズミ塔」という愛称がつけられている。しかしながらこの塔はクルシュヴィツァ城の一部としてポピエルの時代より約500年下った1350年に建てられたもの。










ポーランド君主
伝説的な首長

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ポピェル2世

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シェモヴィト

レシェク

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ピャスト朝

ミェシュコ1世963?992

ボレスワフ1世992?1025

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ベスプリム1031?1032

ミェシュコ2世(復位)1032?1034

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ボレスワフ2世1058?1079

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ズビグニェフ1102?1107

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ヴワディスワフ2世ヴィグナニェツ1138?1146

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カジミェシュ2世スプラヴィエドリヴィ1177?1190

ミェシュコ3世スタルィ(復位)1190

カジミェシュ2世スプラヴィエドリヴィ(復位)1190?1194

レシェク1世ビャウィ1194?1198

ミェシュコ3世スタルィ(復位)1198?1199

レシェク1世ビャウィ(復位)1199?1202

ミェシュコ3世スタルィ(復位)1202

ヴワディスワフ3世ラスコノギ1202?1206

レシェク1世ビャウィ(復位)1206?1210

ミェシュコ1世プロントノギ1210?1211

レシェク1世ビャウィ(復位)1211?1227

ヴワディスワフ3世ラスコノギ(復位)1227?1229

コンラト1世マゾヴィエツキ1229?1232

ヘンリク1世ブロダティ1232?1238

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ボレスワフ2世ロガトカ1241

コンラト1世マゾヴィエツキ(復位)1241?1243

ボレスワフ5世フスティドリヴィ1243?1279

レシェク2世チャルヌィ1279?1288

ヘンリク4世プロブス1288?1290

プシェミスウ2世1290?1296

プシェミスウ朝

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ヴァツワフ3世1305?1306

クヤヴィ・ピャスト朝

ヴワディスワフ1世ウォキェテク1306?1333


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