ポテンツァ
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この項目では、イタリアの都市について説明しています。ブリヂストンが販売しているタイヤについては「POTENZA」をご覧ください。

ポテンツァ
Potenza

行政
イタリア
バジリカータ
県/大都市 ポテンツァ
CAP(郵便番号)85100
市外局番0971
ISTATコード076063
識別コードG942
分離集落一覧を参照
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
地震分類zona 1 (sismicita alta)
気候分類zona E, 2472 GG
公式サイト ⇒リンク
人口
人口67,211 [1] 人 (2018-01-01)
人口密度386.3 人/km2
文化
住民の呼称potentini
守護聖人聖ジェラルド (San Gerardo)
祝祭日5月30日
地理
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度38分 東経15度48分 / 北緯40.633度 東経15.800度 / 40.633; 15.800座標: 北緯40度38分 東経15度48分 / 北緯40.633度 東経15.800度 / 40.633; 15.800
標高819 (584 - 1350) [2] m
面積173.97 [3] km2
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left} ポテンツァの位置

ポテンツァ県におけるコムーネの領域
ポータル イタリア
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ポテンツァ (イタリア語: Potenza ( 音声ファイル)) は、イタリア共和国南部にある都市で、その周辺地域を含む人口約6万7000人の基礎自治体コムーネ)。バジリカータ州の州都、ポテンツァ県県都である。
名称

標準イタリア語以外では以下の名称を持つ。

ポテンツァ方言:Putenz

地理
位置・広がり・地勢

ポテンツァ県中部、アペニン山脈中のバセンタ川谷を見下ろす位置にあり、県都・州都としてイタリアで最も標高が高い場所にある。バーリから西南西へ104km、ターラントから西北西へ121km、ナポリから東へ約132km、首都ローマから東南東へ約313kmの距離にある。[4]ポテンツァ県概略図
隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。

アンツィ

アヴィリアーノ

ブリンディジ・モンターニャ

ピチェルノ

ピエトラガッラ

ピニョーラ

ルオーティ

ティート

ヴァーリオ・バジリカータ

歴史
古代

ポテンティア(Potentia)と呼ばれた最初の定住地は、おそらく現在のポテンツァの10kmほど南で、標高の低い場所にあった。

ポテンティアのルカニは、古代ローマサムニウム人やブルッティ人との戦争の間、ローマの敵側についた。紀元前4世紀にローマに従属させられ、後にムニキピウムとなった。ポテンティア住民は、紀元前216年のカンナエの戦いでローマが負けると反乱を起こした。しかし、メタウルスの戦いでイタリア本土におけるカルタゴの野望に望みがなくなると、ポテンティアはローマに再征服され、軍事植民地の地位へ降格した。
中世

6世紀、市はロンゴバルド族ベネヴェント公国に含まれていた。南イタリアがノルマン人に征服される前、この地方にはサラセン人が到達していた。12世紀、ポテンツァに司教座が置かれた。1137年、ノルマン人王国征服を試みて失敗したローマ教皇インノケンティウス2世神聖ローマ皇帝ロタール3世がポテンツァに集まった。1148年か1149年にポテンツァで、シチリア王ルッジェーロ2世が、ノルマン艦隊をサラセン人から解放したフランス王ルイ7世をもてなした。皇帝フリードリヒ2世による略奪の後、市はホーエンシュタウフェン家へ忠誠を保った。その結果、フランスのアンジュー家がシチリア王国を征服した時に、アンジュー公シャルル1世によって市はほぼ全体的に破壊された。1273年12月18日に発生した地震で、さらに市は荒廃した。
近代から現代

その後の年月、市は多様な封建領主の支配を受けて静かに存在した。スペイン支配に対する暴動の発生地となった。1694年に発生した地震で完璧なまでに市は破壊された。

1799年にパルテノペア共和国がつくられ、ポテンツァは王に対する暴動を起こした最初の都市の一つとなった。同時代にはブルボン王家の抑圧を受けた後、市は1806年にフランスに占領され、バジリカータの首都とされた。王となったジョアシャン・ミュラは、ポテンツァの住環境と行政を改善し、一部の都市改善は1846年の両シチリアフェルディナンド2世の訪問のため導入された。1848年、暴動が発生し、再度ブルボン王家に制圧された。1857年、三度目となる地震の発生で市はまたも荒廃した。ポテンツァは1860年に再びブルボン王家支配に反旗を翻し、その後ジュゼッペ・ガリバルディ率いる義勇軍が入城し、イタリア王国へ併合された。

第二次世界大戦中の1943年9月、ポテンツァは連合国側の過酷な空爆を受けた。1980年、ポテンツァを強い地震が襲った。
みどころ

ドゥオーモ - 正式名サン・ジェラルド大聖堂。18世紀に修繕された。今も、12世紀に建てられた当時のままの
バラ窓とアプスを持つ。

サン・フランチェスコ教会 - 1274年に建設。入り口と鐘楼は15世紀からある。13世紀につくられたビザンチン様式の聖母と、デ・グラシス聖墓を所蔵。

グエヴァラ塔 - かつてあった教会の名残。現在舞台芸術展示場として利用される。

ロッフレード邸 - 17世紀の貴族の邸宅。現在国立考古学博物館が入っている。

旧城壁の3つの門 - 現在荒れ果てたままとなっているサン・ジョヴァンニ門、サン・ルカ門、サン・ジェラルド門。


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