ポツダム命令
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この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。

ポツダム命令(ポツダムめいれい)とは、いわゆるポツダム緊急勅令に基づいて発せられた一群の命令の総称である。いわゆるポツダム勅令やポツダム政令は、ポツダム命令の一種である。
ポツダム緊急勅令
概説

ポツダム緊急勅令とは、大日本帝国憲法第8条第1項の「法律に代わる勅令」に関する規定に基づき昭和20年(1945年9月20日公布・同日施行された「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(昭和20年勅令第542号)の通称である。ポツダム緊急勅令という用語は、法令上は使用されていないが、閣議決定のレベルを含む公文書で使用されている[注釈 1]

「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(昭和20年勅令第542号)において、日本国政府はポツダム宣言の受諾に伴う連合国軍最高司令官の要求事項に基づき、特に必要ある場合は命令をもって所要を定め、必要な罰則を設けるとしている。敗戦後の日本国内における連合国軍最高司令官の法的根拠と日本国政府を介した間接的な執行権限を示している。
ポツダム命令
連合国軍最高司令官の要求

連合国軍による日本占領は、日本の政府機関を温存・利用する間接統治によったが、連合国軍最高司令官の要求事項は指令・覚書(command、memorandum)の形[注釈 2]で政府に伝えられ、政府は命令の形にして国民と政府機関に伝えた。
ポツダム命令の効力

ポツダム命令の多くは、昭和27年(1952年4月28日日本国との平和条約(いわゆるサンフランシスコ講和条約)の発効に伴い、ポツダム緊急勅令とともに、または暫定措置として発効の日から180日間限りで廃止されたが、新たに代替の法律が制定されたものや法律としての効力を有するとの存続措置がとられたものもある。

なお、大日本帝国憲法下においては、憲法第8条に基づく勅令(緊急勅令=法律に代わる勅令)と、第9条に基づく勅令(普通の勅令)があった。いずれも法令番号としては単に「勅令第何号」とされたため、通常、どちらであるのか見分けるには公布時の上諭まで参照[注釈 3]しなければ判別できないが、このポツダム緊急勅令は前者であり、また、公布後に当時の帝国議会の承諾(1945年12月8日貴族院、同18日衆議院、ともに全会一致)を得ているため、その法令番号区分にかかわらず、旧憲法下の法律としての効力を有するものとされている(昭和23年9月6日付け官報掲載の法務総裁説明(閣議決定)参照)。

前述のようにポツダム命令の根拠となるポツダム緊急勅令は、法律としての効力を有するものとされ、従ってこれに基くポツダム命令も、日本国憲法の施行及び日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律により失効することはないとされた(昭和22年法律第72号)(昭和23年9月6日付け官報掲載の法務総裁説明(閣議決定)参照)。

また、日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律については、昭和22年1月29日に公布された(同日施行)昭和二十二年法律第七十二号日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律の一部を改正する法律(昭和22年法律第244号)により第1条の2が追加され、日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律の規定が、ポツダム命令の規定に影響を及ぼさない旨が確認された。
ポツダム命令による罰則

ポツダム緊急勅令では、第二次世界大戦後、連合国軍の占領下にあった日本で、連合国軍最高司令官の発する要求事項の実施につき特に必要がある場合には、命令を以って、政府は所定の定めをし、必要な罰則[注釈 4]を定めることができるとした。
最初のポツダム命令と最後のポツダム命令

最初のポツダム命令は、命令の根拠となるポツダム緊急勅令の公布施行の2日後の昭和20年9月22日公布、同日施行された

昭和20年大蔵省令第79号(聯合國占領軍ノ發行スル「B」號圓表示補助通貨ノ件)。

最後に制定されたポツダム命令は、昭和27年4月26日公布、同日施行された

航空機の出入国等に関する政令等の一部を改正する政令(昭和27年4月26日政令第113号)

であり、平和条約発効(昭和27年4月28日)に伴いポツダム緊急勅令が廃止される2日前であった。
ポツダム命令の方式

ポツダム緊急命令と同日制定された昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件)施行ニ関スル件(昭和20年勅令第543号)により、その形式は勅令(いわゆるポツダム勅令)・閣令・省令の3種とされ、また閣令・省令に規定できる罰則の限度も定められた。

この施行に関する件は、ポツダム緊急勅令の施行命令の性格であり、これ自体はポツダム命令ではない。立案当時、連合国軍最高司令官又はその代表者の要求が直接地方庁に対してなされ、府県令などの地方庁の命令の制定を要する事態が危惧されたが、これは好ましくないことからポツダム緊急勅令は、万一にそなえて広く「命令」としておき、一方普通の勅令(施行に関する件)をもって差し当たりその必要に従い命令の種類を勅令・閣令・省令のみに限定することし、罰則の限度も定めることとした。[1]。最終的に地方庁の命令がポツダム命令とされることはなかった。

なお、昭和22年(1947年5月3日日本国憲法施行により、勅令、閣令という法形式は廃止されたが、昭和20年勅令第543号は、改正されず関係法令の規定で次のように読み替えるものとされた。
勅令は、政令と読み替える。 日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定の効力等に関する政令(昭和22年政令第14号)第2項)による読み替え。

閣令は、総理庁令と読み替える。 日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定の効力等に関する政令(昭和22年政令第14号)第2項)による読み替え。

さらに総理庁令は、総理府設置後は、総理府令と読み替える。総理府設置法(昭和24年法律第127号)附則第5項による読み替え。

また司法省廃止後、法務庁が設置され、さらに1949年(昭和24年)6月1日に法務府となった[注釈 5]。それぞれの時期に法務庁令[注釈 6]、法務府令[注釈 7]が制定されたが、ポツダム命令との関連では、法務庁令、法務庁令によりポツダム命令が制定できるかについては、後に法制局長官となる佐藤達夫が「法務府令に対する読みかえの読み替えはちょっと見当たらない。」[2]とするくらいあやふなところがあるものの、ポツダム命令として法務庁令が6本(単独4本、他省との共同命令4本)、法務府令5本(単独1本[注釈 8]、他省との共同命令4本)が制定されている。

閣令・省令については、昭和20年9月22日の閣議了解「昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件)ニ基ク閣令及省令ノ件」により閣議了解を事前(緊急の場合は事後報告)に行う[3]とされた。

前述のようにポツダム命令の根拠となるポツダム緊急勅令は、法令番号としては通常の勅令と同じ番号付けをされ公布時の上諭まで参照しなければ判別できないが、これはポツダム命令一般についても同様であり、法令番号において通常の命令とポツダム命令は区別されておらず、上諭(勅令の場合)制定文(政令、省令等)に「昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基」という文言があるかどうかを確認しないと判別できない。

更に一部改正の場合はこの文言を欠く事例がある。例えば死産の届出に関する規程は、昭和21年厚生省令第42号として制定された際は「昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ命令ヲ発スル件)に基づき死産の届出に関する規程を次のように定める」とあったが、昭和22年2月1日厚生省令第4号による改正では「昭和二十一年九月厚生省令第四十二号(死産の届出に関する規程)の一部を次のように改正する」となっている。被改正法令がポツダム命令であるかないかを確認するしかない。

なお、公布の際にこの文言を欠いていた[注釈 9]重要物資在庫緊急調査令(昭和23年3月27日政令第65号)について最高裁判所大法廷は「罰則を設けた政令を公布するに当つてその根拠を示さなかつたとしても、それだけでは直ちにその政令を無効であるとする二一[注釈 10]とはできない。その効力如何は、罰則を設けることができる実質上の根拠があつたかどうかによるのである」として「本件政令第六五号は、その実質において「昭和二〇年勅令第五四二号ボツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」に基くものであるから」として形式的にポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基がなくてもポツダム命令であることがあると認めている[4]
ポツダム命令の役割

ポツダム命令により定められた事項は多岐にわたる。占領初期には「非軍事化・民主化」政策の推進という役割を果たしたが、占領後期には占領政策の転換(逆コース)に伴い、労働運動社会主義運動の取締りの役割を果たして行くようになる。


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