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ポッパエア・サビナ
Poppaea Sabina
ローマ皇后
在位62年 ? 65年
別称号アウグスタ
出生30年
死去65年(35歳)
ローマ帝国、ローマ
埋葬ローマ帝国、ローマ、アウグストゥス廟
配偶者ルフリウス・クリスピヌス
ポッパエア・サビナ(Poppaea Sabina, 30年 - 65年)は、第5代ローマ皇帝ネロの2番目の妻。 イタリアのピケヌム(Picenum, 現在のマルケ)で、ティトゥス・オッリウスと同名の母親ポッパエア・サビナとの間に生まれる。彼等の唯一の子供で、兄弟は誰もいなかった。父親はティベリウス帝時代にクァエストル(財務官)職を得ていた人材であったが、当時プラエフェクトゥス・プラエトリオであったルキウス・アエリウス・セイヤヌスと親密な関係であったためにセイヤヌス失脚後、それ以上の官職を得られないまま没落。彼女の母親は裕福で優れた美貌を持ち、とても愛嬌のある女性だったとタキトゥスは記述している。しかし母親は47年にクラウディウス帝の妃メッサリナによって自害を命ぜられている。 母方の祖父はガイウス・ポッパエウス・サビヌス、身分が低いがティベリウス帝の下にトラキアに転戦、9年には執政官(コンスル)職を得て、プロコンスルとしてギリシアに赴くなどティベリウス帝の治世下で活躍し、35年に没した。母娘共に名乗るポッパエア・サビナの名前は帝政期の女性の名前の慣習通り、この「ポッパエウス・サビヌス」の女性形である。 ポッパエアが生まれた翌年父親ティトゥス・オッリウスが没し、母親はプブリウス・コルネリウス・レントゥルス・スキピオ ポッパエアは西暦44年、ルフリウス・クリスピヌスと結婚する。夫はエクィテス(騎士階級)の出自ではあったが、クラウディウス帝の時代にはプラエフェクトゥス・プラエトリオまで上り詰めた男であった。後にクリスピヌスはネロの母小アグリッピナによって失脚し、セクストゥス・アフラニウス・ブッルスがその後任となった。クリスピヌスはその後、65年にネロの暗殺計画に名を連ねたとして流罪となる。 58年頃、ポッパエアは2人の子がいたにもかかわらず失脚した夫を見限って、ネロの親しい友人で当時財務官を務めていたオトと結婚した。
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