公用語ポーランド語
首都ポズナン
大公
1815年 - 1840年フリードリヒ・ヴィルヘルム3世
1840年 - 1849年フリードリヒ・ヴィルヘルム4世
総督
1815年 - 1831年アントニ・ヘンリク・ラジヴィウ
面積
1849年28,951km²
人口
1849年1,350,000人
変遷
ウィーン会議(成立)1815年6月9日
11月蜂起1830年
1848年革命の失敗(併合)1848年6月28日
ポーランドの歴史
ピャスト朝
10世紀 - 1370年
プシェミスル朝 1300年 - 1306年
ポーランド・アンジュー朝 1370年 - 1399年
ヤギェウォ朝 1399年 - 1572年
ポーランド・リトアニア共和国(第1共和制) 1569年 - 1795年
ポーランド分割 1772年、1793年、1795年
ワルシャワ大公国 1807年 - 1813年
ポーランド立憲王国
1815年 - 1867年クラクフ共和国
1815年 - 1846年ポズナン大公国
ポズナン大公国(ポーランド語: Wielkie Ksi?stwo Pozna?skie、ドイツ語: Grosherzogtum Posen)は、1815年から1848年まで存在していた大公国。プロイセン王国の統制下におかれていた。都はポズナンにおかれた。元首である大公はプロイセン王が兼ねた。 1815年に成立し、プロイセン王国の支配下におかれた。当初はポーランド人に一定範囲での自由が保障されていたが1830年の11月蜂起を受け、ポーランド人の諸権利が抑圧されるようになった。 1846年にも民族蜂起を図るが、事前にその動向が把握され、蜂起は失敗に終わった。この際、本来ならポズナンと連携して蜂起するはずだったクラクフが単独で蜂起し(クラクフ蜂起
歴史