ポストロック
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ポストロック
Post-rock
様式的起源
エクスペリメンタル・ロックプログレッシヴ・ロッククラウトロックアンビエントミニマル・ミュージックシューゲイザーオルタナティヴ・ロックポストパンクインストゥルメンタル
文化的起源1980年代後期?1990年代初期
アメリカ合衆国
イギリス
カナダ
使用楽器ギターベースドラムヴァイオリンチェロボーカル木管楽器鍵盤楽器など
融合ジャンル
ポストメタル
地域的なスタイル
2000年代日本のポストロック
日本
関連項目
マスロックインディー・ロックポスト・ハードコア
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ポストロック (post-rock) は、ロックの一種。リズム・和音音色コード進行などの点で従来のロックには見られない特徴がある。
概要:用語の起源

ポストロックという用語は、批評家のサイモン・レイノルズ(英語版)が、『モジョ』(Mojo)誌1994年3月号ので、バーク・サイコシス(Bark Psychosis)のアルバム『ヘックス』(Hex、1994年) のレビュー記事に用いたものが起源とされている[1]

サイモン・レイノルズは『ワイアー』(The Wire)誌1994年5月号でこのポストロックという考えを拡張している。レイノルズの「ポストロック」という言葉は、「ロックの楽器をロックとは違う目的に使用し、ギターをリフパワーコードのためでなく、音色や響きをつくるために使う」音楽を指している[2] 。レイノルズはより詳しく以下のように述べている。

「ことによると、今後の展開にとって本当に刺激的な領域はサイボーグロックかもしれない。すなわち、ひたすら熱心にテクノの方法論を奉じるのでなく、実時間での人間による演奏と、デジタル機器による改良との境界面にあるような音楽である」

2005年7月、レイノルズは自身のブログで、『モジョ』誌以前に『メロディーメーカー』(Melody Maker)誌で「ポストロック」という言葉を使ったと述べている。また「ポストロック」という用語そのものも彼による造語ではないという。ブログでは「この言葉を造ったのは自分だと信じていたのだが、何年も後になって、あの時点でもう10年以上もポストロックという言葉が流布していたことに気づいたのだ」と述べている。

1975年の時点では「ポストロック」は2012年現在とは違った意味で使用されている[3]。ローリング・ストーン・アルバムガイド(Rolling Stone Album Guide)においても、「アバンギャルドロック」(avant-rock)や「アウトロック」(out-rock)とほぼ同じ意味で使用されている。
歴史
先駆者

ポストロックは1960年代後期に活躍したアメリカのヴェルヴェット・アンダーグラウンド(The Velvet Underground)の影響を強く受けている。彼らの音楽を表す「ドロノロジー」(dronology)という言葉で、2012年現在のポストロックのほぼ半分を言い表すことができるといわれている。

1960年代から1970年代にかけてのカンノイ!などのクラウトロックも、ポストロックに強く影響した。特にモータリック(motorik)と呼ばれる特徴的なリズムの影響が大きかった。

イギリスのパブリック・イメージ・リミテッド(Public Image Ltd、 PiL)も、『NME』誌に「おそらく最初のポストロックバンド」と評された先駆者である。セカンドアルバム『メタル・ボックス』(Metal Box、1979年)では、従来のロックンロールの構成をほぼ完全に捨て去り、代わって濃密に反復されるダブ、クラウトロックの影響に基づくサウンドスケープジョン・ライドン(John Lydon)による難解で、意識の流れを表した詞を取り入れた。サードアルバム『フラワーズ・オブ・ロマンス』(The Flowers of Romance、1981年)ではその姿勢をより徹底的に推し進め、激しいパーカッションや抽象的なテープ音楽を強調している。
1980-90年代

トーク・トーク(Talk Talk)や、スリント(Slint)ら1980-90年代に登場したバンドは、後のポストロックに影響を与えたと言われる。トーク・トークの『スピリット・オブ・エデン』(Spirit of Eden、 1988年)スリントの『スパイダーランド』(Spiderland、1991年)の二つは、ポストロックの草分けとして評価されている。

元々ポストロックという言葉はステレオラブ(Stereolab)、ライカ(Laika)、ディスコ・インフェルノ(Disco Inferno)、ムーンシェーク(Moonshake) などの音楽を指していた。だが後には、ジャズやクラウトロックの影響、エレクトロニカに近い雰囲気があるなどの特徴を持った、1994年以降の音楽を広く指して、頻繁に用いられるようになった。

ラブラッドフォード(Labradford)、バウリー・エレクトリック(Bowery Electric)やスターズ・オブ・ザ・リッド(Stars of the Lid)は、アメリカのポストロックが始まる画期となったとされる。トータス(Tortoise)はセカンドLP『ミリオンズ・ナウ・リヴィング・ウィル・ネヴァー・ダイ』(Millions Now Living Will Never Die、1996年)をリリースし、ポストロック界のアイコンとなった。ドゥ・メーク・セイ・シンク(Do Make Say Think)をはじめとする多くのバンドが「トータス・サウンド」に影響された楽曲を制作した。

1990年代後半には、シカゴは多くのポストロック関連のアーティストたちの本拠地となっていた。トータスのジョン・マッケンタイア(John McEntire)やブライズ・グレース(Brise-Glace)、ガスター・デル・ソル(Gastr del Sol)のジム・オルーク(Jim O'Rouke)が多くのグループにとって重要なプロデューサーとなった。特に有名なポストロックの舞台はモントリオールである。ゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラー(Godspeed You! Black Emperor)や、ア・シルバー・マウント・ザイオン(A Silver Mt.Zion、2012年現Thee Silver Mt.Zion)、ドゥ・メーク・セイ・シンク、フライ・パン・アム(Fly Pan Am)などがコンステレーション(Constellation)というレーベルから楽曲を発表した。これらのグループは、ミュージック・コンクレート室内楽フリー・ジャズといったジャンルに価値観が根ざしていることに特徴がある。
2000年代

2000年代に入ると、ポストロックという言葉は人気を失ってゆく。批評家があからさまに言葉の用法存在を批判するようになるにつれ、ポストロックはますます議論の的となっていった。ポストロックの代表格と目されていたグループの中には、「ポストロック」の名称を拒否するものも現れた。アーティストやリスナーからこの用語に対する反動が起こった。「ポストロック」が幅広いスタイルの楽曲をカバーするようになるにつれ、ジャンルを指す言葉としては使いにくくなったと言われている。

しかし2012年現在モグワイ(Mogwai)、エクスプロージョンズ・イン・ザ・スカイ(Explosions in the Sky)、65デイズオブスタティック(65daysofstatic)、インディ・ハルダ(Yndi Halda)、ディス・ウィル・デストロイ・ユー(This Will Destroy You)などインストゥルメンタルを主体としたバンドの台頭が目立つようになり、ポストロック自体が見直された。またシガー・ロス(Sigur Ros)、アミーナ(Amiina)、ミュー(Mew)、イーエフ(ef)、オードリー(Audrey)、イマニュ・エル(Immanu El)などのアイスランド、デンマーク、スウェーデン周辺でも独自の流れを持ち広まっている。
日本のポストロック

日本ではTHE CREATOR OFdownyLITEtoeMONOte'OVUMrega、Clean Of Core、sgt.Anoiceなど。


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