ポア_(オウム真理教)
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ポアとは、オウム真理教教祖麻原彰晃が、自らの関与した殺人をその被害者が自身の悪業により地獄に堕ちるのを防ぐだけでなく、より高い世界へ転生させる為であるとして使用した用語である。語源はチベット語の「ポワ」(チベット文字:?????? ワイリー方式:'pho ba)とみられる。この言葉自体には「殺人」や「殺害」という意味はないが、後期密教の一部には慈悲のために他者を殺害して極楽浄土などへ意識を遷移させる思想も存在する[1]
オウム真理教におけるポア(ポワ)

宗教学者の渡辺学によると、オウム真理教においては「ポア」と「ポワ」は「魂の転移」を意味する同じ言葉であり、成就者が弟子に命じて将来悪業を積む可能性のある人間の殺害は「魂の転移」となり、被殺害者も殺害者にも益となる、と説かれ、ラマ・ケツン・サンポ、中沢新一共著『虹の階梯』(平河出版社、1981年)、おおえまさのり訳編『ミラレパ』(オームファンデー ション1976年、めるくまーる1980年)などが麻原のポアの典拠と推測している[2]。別の宗教学者、大田俊寛もポア(英語版)という言葉をオウム真理教に教えたのは『虹の階梯』とする[3]

元教団幹部の中村昇によれば、中沢新一の「虹の階梯」を読んでいた弟子の方から、ポア(意識の移し替え)を殺人を含めた隠語として使い始めたという[4]

元オウム幹部、のちアーレフ代表野田成人は「教団の中では麻原の書籍以外は読んではいけないのですが、『虹の階梯』だけは転がっていました」「教団の中ではネタ本として半ば公になっていたので、みんな参照はしていました。」と証言している[3]

まだ「オウム神仙の会」の時代だった1987年1月4日の時点で、教祖麻原彰晃はすでに殺人を肯定する意味で「ポア」の用語を使った説法をしていた[5]。チベット密教というのは非常に荒っぽい宗教で,例えば,●●が教えを乞うた先生の一人に『お前はあの盗賊を殺してこい。』と言われ,やっぱり殺しているからね。そして「グルのためだったら死ねる,グルのためだったら殺しだってやるよというタイプの人はクンダリニー・ヨーガに向いてるということになる。そして,そのグルがやれと言ったことすべてをやることができる状態,例えばそれは殺人も含めてだ,これも功徳に変わるんだよ。

私も過去世において、グルの命令によって人を殺してるからね。自分は死ねるが,カルマになる,人を殺すというものはできないものだ。しかし、そのカルマですらグルに捧げたときに,クンダリニー・ヨーガは成就するんだよ。例えばグルがそれを殺せと言うときは,例えば相手はもう死ぬ時期に来てる。そして,弟子に殺させることによって,その相手をポアさせるというね,一番いい時期に殺させるわけだね。そして,例えばもう一度人間界に生まれ変わらせて修行させるとかね、いろいろとあるわけだ。 ? 麻原彰晃(1987年1月4日・丹沢セミナー)

オウム最初の殺人事件である男性信者殺害事件1989年2月10日に起きた。事件から数ヶ月後には次のように語っている。例えば、Aさんという人がいて、Aさんは生まれて功徳を積んでいたが慢が生じてきて、この後悪業を積み、寿命尽きるころには地獄に堕ちるほどの悪業を積んで死んでしまうだろうという条件があったとしましょう。

このAさんを、成就者が殺したら、Aさんは天界へ生まれ変わる。(略)すべてを知っていて、生かしておくと悪業を積み、地獄へ堕ちてしまう。ここで、例えば生命を絶たせた方がいいんだと考え、ポアさせた。

この人はいったい何のカルマを積んだことになりますか、殺生ですか、それとも高い世界へ生まれ変わらせるための善行を積んだことになりますか。人間的な客観的な見方をするならば、これは殺生です。しかし、ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポアです。

そして、智慧ある人─ここで大切なのは智慧なんだよ。─智慧ある人がこの現象を見るならば、この殺された人、殺した人、共に利益を得たと見ます。ところが、智慧のない人、凡夫の状態でこれを見たならば『あの人は殺人者』と見ます。 ? 麻原彰晃(1989年9月24日・世田谷道場)[5]


(オウムから見て)「悪業を積む者」は、そのまま生かしておいてはさらに「悪業」を積み、来世の転生先でその分苦しまなければならない。それを避けるためには一刻も早くその生命を絶たなければ(殺害しなければ)ならない。そうすることで、これ以上「悪業」を積むことがなくなり、また「グルとの逆縁」ができるので本人のためにも良い。また殺人を実行した弟子は、「被害者の魂を救済した」ことになるので、「功徳」を積むことになる、という理論であった。
チベット密教におけるポワ

ポア(正しくはポワ)はチベット語であり、仏教辞典では「遷移・転移」、または経典の文脈によって「遷有」[6]と訳される。イェシュケのチベット語辞書でも、1)to change place/shift/migrate、2)to change、3)to die となっており、死ぬという意味はあっても、殺すという意味は存在していない[6]。金本拓士によれば、ポワというチベット語の元となったサンスクリット語は確定されているとは言い難いが、sa?krama?a(サンクラマナ)が有力とされているという[6]モニエルの梵英辞典によれば、sa?krama?a(サンクラマナ)は「(黄道十二宮の)ある宮から他(の宮)への通過」の意味として説明されており、兜率天上生下生など、規定された道筋を順に移り行くことを示す[6]。他にも蔵訳の仏典では、sanc?ra(サンチャーラ)という語がポワ('pho ba)と訳されており[7]、「移行」の意味である[7]

タントラ密教でのポワとは、ナーローパの六法において、すなわち、以下のトゥンモの修行から中有の修行に続いて最後の修行とされる転移・遷有の修行のことであり、意図的に自己または他者の意識を移し替える技法である[6]
体の火を燃え上がらせるトゥンモの修行

幻身の修行

夢の修行

光明の修行

中有の修行

転移・遷有の修行(ポワ)

タントラ密教におけるヨーガ体系においては、殺害や、他者の魂を奪う意味はない[6]

チベット死者の書』では、死に際して輪廻から解脱することが最上とされるが、それがかなわなかった場合には次善の策として六道のうち人間界よりもましなところへと転生させる、引導の儀式が行われる。それがポワである[8]。ポワを施すときその者は瀕死の状態にあり、死の要因はすでに施術者(僧)がどうこうできるものではない。ここでも「殺す」という意図は存在しない。
善巧方便経・密教経典における殺生「オウム真理教#仏教・密教との関係」および「殺人#宗教と殺人」を参照

男性信者殺害事件直後に行われた富士山総本部の説教で麻原は、仏陀の前生の話として、ある悪人が船に乗った300人の貿易商の財産を奪おうとしていたが、仏陀(の前生)はこの悪人のカルマが悪かったのでポア(殺害)、つまり、高い世界に転生させる為の殺害であると説教して正当化した[9]

渡辺学はここで麻原が言及しているのは善巧方便経にあると指摘している[10]。善巧方便経では、500人の商人が乗る船で1人の悪人が全員を殺害して財宝を奪おうとしていたが、釈迦の前生である船長は 、悪人が商人を殺して地獄におちること、反対に計画を知った商人が悪人を殺し地獄に落ちるのを防ぐには、 この悪人を私が殺す以外に方法はない」と大悲の心をおこし、その善巧方便によって悪人を殺した[11]

渡辺学はこれは釈迦が生まれる前に行ったという話であり、釈迦と同じ心境になった人間が同じことをしても構わないという話ではなく、麻原の解釈には飛躍があり、また麻原は自分が最終解脱者であり、神に等しい存在であることを証明し、殺人行為を救済と結びつけるためにこの物語を利用したと述べている[12]


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