この項目では、1356年に行われたポワティエの戦いについて説明しています。732年に行われたポワティエの戦いについては「トゥール・ポワティエ間の戦い」をご覧ください。
ポワティエの戦い
ポワティエの戦い
戦争:百年戦争
年月日:1356年9月19日
場所:フランス、ポワチエの南、ヌアイエ=モーペルテュイ近郊
結果:イングランドの決定的な勝利
交戦勢力
イングランド王国
ブルターニュ公国
ガスコーニュ フランス王国
スコットランド王国
神聖ローマ帝国
指導者・指揮官
エドワード黒太子
ジャン3世・ド・グライー
ブルターニュ継承戦争(1341年 - 1364年)
シャントソー - ブレスト - モルレー - サン・ポル・ド・レオン - ラ・ロッシュ=デリアン - 30人の戦い - モーロン - オーレ
百年戦争(1369年 - 1389年)
コシュレル - リモージュ - ナヘラ - モンティエル - ポンヴァヤン - ラ・ロシェル - ローゼベーケ
百年戦争(1415年 - 1453年)
アジャンクール - ルーアン - ラ・ロシェル(第2次) - ボージェ - モー - クラヴァン - ヴェルヌイユ - オルレアン - ニシンの戦い - ジャルジョー - モン=シュル=ロワール - ボージャンシー - パテー - パリ - コンピエーニュ - ジェルブロワ - フォルミニー - カスティヨン
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ポワティエの戦いにおける機動 ポワティエの戦い
ポワティエの戦い(仏: Bataille de Poitiers、英: Battle of Poitiers)は、百年戦争の一環として1356年9月19日にプランタジネット朝イングランドとヴァロワ朝フランスの間で行われた戦い。ポアティエの戦いとも表記する。
戦いに先立つ1356年8月8日、エドワード黒太子はアキテーヌを根拠地に北上しつつ騎行戦術をとった。地方に駐屯する守備隊を撃破し、物資を略奪することによって調達した。
トゥールのロワール川近辺で、イングランド軍は根城を確保できておらず、また、大雨により都市を焼き払うことができずに行軍が遅れ、フランス王ジャン2世はイングランド軍に追いついた。 イングランド軍のエドワード黒太子は16歳の時経験したクレシーの戦い同様の作戦計画を立案し、自然の障害に囲まれた平野に陣取った。陣地の左側面は小さなクリークに、背後を森に囲まれており、唯一弱い右側面、ポワティエからボルドーへと続くローマ時代からある古道には、略奪物が載せてある荷車を置いてバリケード代わりとした。そして、騎兵もみな馬を降り、歩兵として2部隊に分けられ、その両翼にV字にロングボウを持った長弓部隊を配置した。 この際、ビュック領主 対するフランス軍のジャン2世は、部隊を4つに分割して並べて配置した。
目次
1 イングランド軍の陣容
2 フランス軍の陣容
3 戦いの経過
4 戦いの影響
5 題材とした作品
イングランド軍の陣容
フランス軍の陣容
第1陣はジャン・ド・クレルモン
第2陣はフランス王太子、後のシャルル5世率いる部隊、約4,000名。
第3陣は王弟オルレアン公フィリップ率いる部隊、約3,000名