ボードゥアン1世_(エルサレム王)
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。

出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2016年10月)


脚注による出典や参考文献の参照が不十分です。脚注を追加してください。(2016年10月)
出典検索?: "ボードゥアン1世" エルサレム王 ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL

ボードゥアン1世
Baudouin I
エルサレム王
ボードゥアン1世
在位1100年 - 1118年
戴冠式1100年12月25日ベツレヘム降誕教会

出生1065年

死去1118年4月2日
ファーティマ朝アリーシュ
埋葬 エルサレム王国聖墳墓教会
配偶者ゴデヒルド・ド・トニー
 アルダ
 アデライード・デル・ヴァスト
家名ブローニュ家
父親ブローニュ伯ウスタシュ2世
母親イド・ド・ブローニュ
テンプレートを表示
戴冠するボードゥアン

ボードゥアン1世(Baudouin I, 1065年頃 - 1118年4月2日)は、第1回十字軍の指導者の一人。初代エデッサ伯となり、後に初代エルサレム(在位:1100年 - 1118年)となった。
生涯

ボードゥアンはブローニュ伯ウスタシュ2世と妃イド・ド・ブローニュの三男で、僧籍に入る教育を受けていたが途中で還俗し[1]、次兄の下ロートリンゲン公ゴドフロワの下でヴェルダン伯となる。

第1回十字軍時には兄のウスタシュ3世、ゴドフロワ、ユーグ、従兄弟のボードゥアン・ド・ブールと共に参加した[1]ハンガリーでは、部隊の安全な通過のためにボードゥアンが人質としてハンガリー王の元に留められた。コンスタンチノープルでは、逆に東ローマ皇帝の息子(後のヨハネス2世コムネノス)を人質として預かったときに、ボードゥアンがその対応を行った。東ローマ側から十字軍を記録した皇女アンナ・コムネナの手記によると、「配下の兵士が皇帝の玉座に対して無礼な働きを行ったとき、それを咎めた」とされ[2]、礼儀と規律に厳しかったことがうかがえる。

小アジアで他の十字軍から分かれ、同様に領土を欲するノルマン人タンクレッドボヘモンの甥、後にアンティオキア公国摂政)と共にキリキアへ向かったが、キリキアの領有に関してタンクレッドと争うようになり[3]、タンクレッドはアンティオキアに戻った。一方、ボードゥアンはエデッサの領主ソロス(トロス)に誘われて、その後継者となり、まもなくソロスが暴動で殺されると替わってエデッサを支配した(エデッサ伯国参照)[4][5][6]。この時ボードゥアンはアルメニア人であったソロスの娘アルダと結婚したが、この結婚はこれ以降しばしば行われたフランク系十字軍国家の貴族とアルメニア人との婚姻の先例となった[7]

1100年に「聖墳墓の守護者」であった兄のゴドフロワが死んだ時、ボードゥアンはエデッサ伯国をボードゥアン・ド・ブールに譲り、エルサレムに入ってエルサレム王ボードゥアン1世となった[8]

エルサレム総司教だったダゴベルトは、エルサレムを教皇領とすることを望み、これに反対したが、エルサレムではなくベツレヘムで戴冠することで妥協した。

1101年の十字軍ではラマラで大敗したが、その後アッコンラマラトリポリシドンベイルートなど領土を広げた。1112年または1113年に、シチリア伯ルッジェーロ1世の未亡人アデライード・デル・ヴァストと結婚したが、この結婚で子が生まれなかった場合、アデライードとルッジェーロ1世との子ルッジェーロ2世が後継者となる取り決めがなされたため、貴族や総大司教からの圧力により4年ほどで離婚した[9]。1118年にエジプト遠征中に食中毒により亡くなった。ボードゥアン1世は3回結婚しているが子供はなく、エデッサ伯を継いでいたボードゥアン・ド・ブールが第2代エルサレム王ボードゥアン2世となった。
脚注[脚注の使い方]^ a b 十字軍全史、p. 27
^ タート、pp. 164 - 165
^ ジョティシュキー、p. 92
^ グルッセ、p. 37
^ タート、p. 44
^ 十字軍全史、pp. 34 - 35
^ グルッセ、p. 41
^ 十字軍全史、p. 49
^ ジョティシュキー、p. 105

参考文献

R.グルッセ 『十字軍』 白水社、1954年

A.ジョティシュキー 『十字軍の歴史』 刀水書房、2013年

E.ハラム 『十字軍大全 年代記で読むキリスト教とイスラームの対立』 東洋書林、2006年

ジョルジュ・タート 『知の再発見 双書 30 十字軍』 創元社、1993年

新人物往来社 編 『十字軍全史』 新人物往来社、2011年

関連項目

エルサレム国王一覧

先代
エデッサ伯
1098年 ? 1110年次代
ボードゥアン2世

先代
ゴドフロワ・ド・ブイヨン
(聖墓守護者)エルサレム王
1110年 ? 1118年次代
ボードゥアン2世










エルサレム王
ブローニュ家

ゴドフロワ・ド・ブイヨン(聖墓守護者)1099-1100

ボードゥアン1世1100-1118

ルテル家

ボードゥアン2世1118-1131

メリザンド(共治)1131-1153

ガティネ家

フルク(共治)1131-1143

ボードゥアン3世1143-1162

アモーリー1世1162-1174

ボードゥアン4世1174-1185

アレラーミチ家

ボードゥアン5世1183-1186

ガティネ家

シビーユ(共治)1186-1190

ギー・ド・リュジニャン(共治)1186-1190/2

イザベル1世(共治)1190/2-1205

アンリ1世(共治)1192-1197

アモーリー2世(共治)1198-1205

アレラーミチ家

マリーア(共治)1205-1212

ブリエンヌ家

ジャン1世(共治)1210-1212

イザベル2世1212-1228

ホーエンシュタウフェン家

コンラート2世1228-1254

コンラート3世1254-1268

リュジニャン家

ユーグ1268-1284

ジャン2世1284-1285

アンリ2世1285-1291

カテゴリ

典拠管理データベース
全般

FAST

ISNI

VIAF

2

3

4


国立図書館

ドイツ

イスラエル

アメリカ

チェコ

ポーランド

バチカン

人物

ドイッチェ・ビオグラフィー

その他

IdRef


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:20 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef