ボートピープル
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船上に住む一般市民の「水上生活者」とは異なります。
ハイチからのボートピープル

ボートピープル(英語: boat people)とは、紛争・圧政などの下にある地から、漁船ヨットなどの小船に乗り、移民・難民(経済・政治)となって外国へ逃げ出した人々である。

朝鮮民主主義人民共和国大韓民国中華人民共和国キューバベトナム戦争以降の南ベトナムアルバニアモロッコなどで発生し、香港アメリカ合衆国カナダタイインドネシアオーストラリア日本イタリアスペインなどへ脱出している。

戦争、人種的対立、旧共産圏からの政治的迫害、社会主義思想を嫌う人々の他、経済的貧窮を逃れ新天地を求めようと脱出する人々などがいた。また、日本への例として、朝鮮半島からは、戦前・戦後の出稼ぎ、朝鮮戦争や弾圧を逃れるための密航があった。
犠牲

古い小型船舶に多数の難民が乗船するなどして、船内の環境は劣悪だった。水・食糧の奪い合い、死体を食べたり[1]海賊による略奪・襲撃にあったり、サメシャチなどの肉食性の海棲大型動物に襲われたりもした。

船に公海上での方向指示機能が無いことも多く、海難により多数の犠牲者が出ることもある。

南シナ海上では、タイの海賊や不良漁民によって金品を狙った強盗が行われ、時には強姦殺人も起こった。タイの海賊は、ボートピープルが財産として持ち出した宝石貴金属などをターゲットとした。1981年にベトナムを離れた避難民のうち、7割以上がタイの海賊に一度は遭遇したともいわれる。
朝鮮半島からのボートピープル

第二次世界大戦前から戦後にかけ、朝鮮半島からは多くの密航が行われ、密航組織や密航者の摘発が頻繁に行われた。1934年、朝鮮人の移入により治安や失業率が悪化したため、朝鮮人の移入を阻止するために朝鮮、満洲の開発を行うとともに密航の取り締まりを強化するための「朝鮮人移住対策ノ件」を閣議決定した。

1938年末には、摘発された密航朝鮮人180人が強制送還されている[2]。1939年1月には300人の密航朝鮮人が強制送還された[3]。2月には密航朝鮮人128人が一網打尽に逮捕されている[4]。3月には250余名の朝鮮人を強制送還している[5]。このように余りに密航が多いため1939年春から日本内地への渡航の取り締まりを緩和するようになったが、6月22日までに日本内地への渡航証明下付出願者は40,485人に上り、漫然渡航者として19,110人が論旨され、2,000人の密航者が摘発されている[6]。また、朝鮮人のなかには渡航証明書を偽造して売りさばき巨利を貪るものもいた[7]。第二次世界大戦中にも密航者は増加し、警察による摘発も行われていた[8]。こうした背景には当時、内地と朝鮮半島との賃金格差が大きかった事が挙げられる。

第二次世界大戦後、北朝鮮の共産化、朝鮮戦争の混乱、済州島四・三事件の弾圧は、日本への難民/密航者を大量に生んだ[9]。済州島四・三事件に続く麗水・順天事件の際にも、日本への密航者が生み出された[10]。済州島出自の朝鮮人は大阪市生野区を中心に9万人以上になる[11]

マルハン韓昌祐会長[12]や作家のキム・ギルホなどが、密航で日本に入国した事を認めている[13]孫正義の父は、一族を連れて1947年に南朝鮮から密航船で日本へ移住した[14]

『朝日新聞』1955年8月18日「65万人(警視庁公安三課調べ)の在日朝鮮人のうち、密入国者が10万人を超えているといわれ、東京入国管理局管内(1都8県)では、この昨年中のべ1000人が密入出国で捕まった。全国ではこのざっと10倍になり、捕まらないのはそのまた数倍に上るだろうという」また、『朝日新聞』1959年6月16日には「密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人がかなりいると見られているが、警視庁は約20万人ともいわれ、実際どのくらいいるかの見方はマチマチだ」また、『朝日新聞』1959年12月15日天声人語「韓国から日本に逃亡してくる者は月平均五、六百人もある。昭和二十一年から昨年末までに密入国でつかまった者が五万二千人、未逮捕一万五千人で、密入国の実数はその数倍とみられる」また、『産経新聞』1950年6月28日には、「終戦後、我国に不法入国した朝鮮人の総延人員は約20万から40万と推定され、在日朝鮮人推定80万人の中の半分をしめているとさえいわれる」という記事が掲載されている。
ベトナムからのボートピープル詳細は「ベトナムからのボートピープル(英語版)」を参照

ベトナム戦争では1975年4月30日の「サイゴン陥落」以降、旧ベトナム共和国(南ベトナム)から数多くの難民が国外に亡命した。ボートピープルの多くは都市部出身者、旧南ベトナム政府関係者や旧南ベトナム軍関係者とその家族、資産家、富裕層、華僑華人であった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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