ボーイズIIメン
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ボーイズIIメン
ベガでのライブ(2008年4月7日)
基本情報
別名ユニーク・アトラクション
出身地 アメリカ合衆国 フィラデルフィア
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R&B[1]

ニュージャックスウィング[1]

活動期間1987年 -
レーベル

モータウン

ユニバーサル

アリスタ

MSM

コッホ(英語版)

デッカ

rhythm zone


メンバー

ネイザン・モリス

ショーン・ストックマン

ウォンヤ・モリス


旧メンバー

マーク・ネルソン

マイケル・マッケリー

ボーイズIIメン(ボーイズ・トゥ・メン、英語: Boyz II Men)は、米国フィラデルフィア出身のボーカル・グループ。

1990年代に「エンド・オブ・ザ・ロード」をはじめとする幾つもの全米ナンバーワン・ソングを記録し、R&Bの一時代を築いた。

「Boys II Men」は誤記。
バイオグラフィ

1985年にフィラデルフィア高校に通うネイザン・モリス、マーク・ネルソン、ジョージ・バルディ(英語版)[注釈 1]、ジョン・ショート、マーガライト・ウォーカーによって結成される。バルディとショートとウォーカーは高校卒業のため脱退。

1988年にウォンヤ・モリス、マイケル・マッケリー、ショーン・ストックマンを加える。この時、グループ名をニュー・エディションボビー・ブラウンが在籍していたグループ)の曲名「Boys To Men」から「BOYZ II MEN」とする。1989年にベル・ビヴ・デヴォーのコンサートへ行き、楽屋に潜り込みアカペラを披露しそのまま契約に至る。2002年にマッケリーが健康上の問題を理由に脱退、以後は新メンバーを迎えることなくトリオ編成のままで活動を続けている。
現メンバー
ネイサン・モリス(Nathan Morris)ウォンヤ・モリス(Wanya Morris)ショーン・ストックマン(Shawn Stockman)
旧メンバー
マイケル・マッケリー(Michael McCary)(2003年に脱退)マーク・ネルソン(Marc Nelson)(英語版)(デビュー前までのメンバー)ジョージ・バルディ(George Baldi III)(英語版)

ボーイズ・トゥ・メンと言えば、心に響くバラードの名曲とアカペラのハーモニーが浮かぶ。当初は4人編成だったが、マイケル・マッケリー(Michael McCary)脱退後はネイサン・モリス(Nathan Morris)が低音とメインを担当、高音部はウォンヤ・モリス(Wanya Morris)とショーン・ストックマン(Shawn Stockman)というトリオで活動している。4人編成でモータウンに所属していた1990年代に一時代を築いた。マイケル・マッケリーが2003年に脱退したのは健康上の理由による。

1990年代、彼らは世界的規模で成功を収めた。きっかけは1992年にリリースした「エンド・オブ・ザ・ロード」がアメリカ国内にとどまらず世界各国のチャートで1位を記録したことである。この曲はBillboard Hot 100で13週連続1位という記録を打ち立て、1955年以降のビルボードチャートではエルヴィス・プレスリーの持っていた記録を36年ぶりに更新した。続いてリリースした「メイク・ラヴ・トゥ・ユー」(同チャート14週連続1位)、「ワン・スウィート・デイ」(with マライア・キャリー)(同チャート16週連続1位)でさらに記録を伸ばした。「メイク・ラヴ・トゥ・ユー」はオーストラリアでも4週連続1位を記録、また「ワン・スウィート・デイ」がうちたてた16週連続1位の記録は2019年に「オールド・タウン・ロード」(リル・ナズ・X)が17週連続1位を達成するまで破られなかった[2][3]。ビルボードチャート1位在位期間では通算50週。これは史上4番目の記録である(2014年時点)。ビルボードマガジンでは「1990年代で最も成功したグループ 第4位」に挙げられている。

現在も3人編成で活動し、世界各国でツアーを行っている。最新のスタジオアルバム『コライド』 (Collide) は2014年にリリースされた。
1985年?1990年: 始まり

1985年、Philadelphia High School for the Creative and Performing Arts(CAPA)にて、ネイサン・モリスとマーク・ネルソンによって結成されたユニーク・アトラクションというグループである。当初のメンバーは同級生の ジョージ・バルディ、ジョン・ショーツ、マーガリッテ・ウォーカー。1987年、学校のコーラス部でこのメンバーと知り合いだったウォンヤ・モリスが加わる。新入生だった彼がこのグループに最後まで残ることになる。1988年、バルディ、ショーツそしてマーガリッテが卒業と同時にグループを離れた。グループが新たにメンバーに加えたのがショーン・ストックマン。コーラス部で彼のソロを耳にしたことがきっかけだった。

マイケル・マッケリーの参加は偶然の出来事と言っていい。ある日、高校のバスルームでネイサン、マーク、ウォンヤそしてショーンが歌の練習をしていると、マイケルがやってきて、彼らに合わせて歌った。やがて彼がこのグループのバスパートを引き受けることになる。こうしてメンバーが固まった。彼らが学校のバスルームで練習を続けたのは、そこで歌うと響きが良かったからだ。やがてそこが彼らの集う場所になった。

彼らが影響を受けたのは、ニュー・エディションの曲やハーモニーだった。やがて彼らはニュー・エディションの曲の一つにちなんでグループ名を「ボーイズIIメン」に変えた。

1989年、彼らはチャンスを得る。高校のバレンタインパーティで街を訪れたニュー・エディションの楽屋に飛び込むと、メンバーのマイケル・ビヴンズの前で彼らは歌った。そこにいたのは同じニュー・エディションのメンバー、リッキー・ベルとロニー・デヴォー(グループのスピンオフとしてあのベル・ビヴ・デヴォーの結成を告知したばかりだった)。彼らが歌った「キャン・ユー・スタンド・ザ・レイン」(ニュー・エディションの曲)は、メンバーやスタッフその他、その場にいたすべての人々を感動させた。マイケルは彼らに電話番号を伝え、連絡してくれと彼らに話した。

後日ネイサンはマイケル・ビヴンズに電話をし、マイケルはこのグループのマネージメントを、そしてプロデュースを引き受けることを約束した。しかし、その後のレコーディングは遅々として進まず、また個人的な事情もあって、結成当時からのメンバーだったマーク・ネルソンがグループを離れるに至った(※飛行機に乗るのが嫌で脱退した、と後日本人がインタビューで語っている)。こうしてボーイズ・トゥ・メンは4人編成としてを世界的名声を得る一歩を踏み出した。
1991年: クーリーハイハーモニー

1991年、ファーストアルバム『クーリーハイハーモニー』(Cooleyhighharmony) がモータウンからリリースされた。プロデューサーはマイケル・ビヴンズ。アルバムはドラムサウンドに重点を置いたニュー・ジャック・スウィングで、多重録音を背後に重ねるスタイルはベル・ビヴ・デヴォー(BBD)の手法を採り入れているとも言えるが、BBDがラップや退廃的色彩を帯びたヴォーカルを売りにしていたのと対照的に、ボーイズ・トゥ・メンはクラシック・ソウル・スタイルのヴォーカルを前面に出した。このスタイルにメンバーそしてマイケル・ビヴンズのヒップホップ・ドゥーワップが重ねられる。BBDの系譜を引き継ぐグループとして、ボーイズ・トゥ・メンそして弟分のアナザー・バッド・クリエイションに代表されるのがこのスタイルである。

一般的にR&Bグループの多くが1人ないし2人のリードヴォーカルとバックコーラスというアレンジであることが多いが、ボーイズ・トゥ・メンは当初からメンバー全員がリードヴォーカルという形を取っていた。このスタイルは彼らのトレードマークとなる。ウォンヤ・モリスのビブラートの効いたテナー、ショーン・ストックマンのテナー、ネイサン・モリスのバリトンとマイケル・マッケリーのバス(彼はいくつかのヒット曲で台詞も担当している)。

アルバムのライナーノートにはそれぞれのメンバーのニックネームが記されているが、これはアルバムのマーケティングのためにマイケル・ビヴンズと共に生み出したものである。ウォンヤは「青二才」、ショーンは「やせっぽっち」、マイケルはそのまま「バス」、ネイサンは「アレックス・ヴァンダープール」(ABCのドラマの登場人物にちなんだ名前)。

ファーストシングル「モータウンフィリー」 (Motownphilly) はダラス・オースティンのプロデュース。マイケル・ビヴンズがラップの部分でカメオ出演し、このグループとの馴れ初めについて語っている。ミュージックビデオはヒップホップスタイルの色彩が強い。カメオ出演で、彼らの出身校の同窓生であるブラック・ソートとクエストラヴが出演している(ザ・ルーツのメンバー)。アルバムからのセカンドシングルは、モータウンの古典的名曲。G.C.キャメロンの「グッドバイ・トゥ・イエスタデイ」 (It's so hard to say goodbye to yesterday) で、1975年の映画『クーリー・ハイ』で使われた曲だった。続いて「ウー・アー」 (Uhh Ahh) がサードシングルとしてリリースされた。

アルバムは900万枚出荷という成功を収め、1992年のグラミー賞を獲得した(R&Bデュオ/グループベストヴォーカル部門)。またイギリス人歌手シール、そして同期のヴォーカルグループであるカラー・ミー・バッド、ダンスグループC+Cミュージックファクトリーと共に最優秀新人賞にもノミネートされた(受賞したのはシンガーソングライターのマーク・コーン)。「モータウンフィリー」と「グッドバイ・トゥ・イエスタデイ」はR&B部門で1位を獲得、USポップチャートでもトップ5に入った。

1992年、彼らはMCハマーの「トゥー・レジット」 (2 Legit 2 Quit) ツアーに参加し、オープニングアクトを務める。米国ツアーの最中、ツアーマネージャーのカリル・ラウンドツリーがシカゴで殺害されるという事件が起きた。のちに賞を獲得した「グッドバイ・トゥ・イエスタデイ」は彼に捧げられた曲である。この出来事が、そしてこの歌が彼らの成功を後押しすることとなった。
1992年: エンド・オブ・ザ・ロード

1992年の全米ツアーのさなかも彼らは「エンド・オブ・ザ・ロード」のレコーディングのため頻繁にスタジオ入りした。この曲はケネス「ベイビーフェイス」エドモンズがプロデュース兼共作を担当したエディ・マーフィの映画『ブーメラン』のサウンドトラックの1曲だった。1992年6月30日にリリースされたこの曲は、2022年現在彼らの最大のヒット曲である。1992年8月15日にBillboard Hot 100チャート1位に達すると、同年11月7日まで13週連続1位にとどまり、ロック時代以降(1955年7月9日以降)のビルボードチャートでは1956年にエルヴィス・プレスリーの両A面シングル「冷たくしないで/ハウンド・ドッグ」が達成した11週連続1位という記録を36年ぶりに塗り替えた[注釈 2]。この曲の成功によって、彼らは前途有望なR&Bスターからあっという間にスターダムを駆け上がった。

ファーストアルバム『クーリーハイハーモニー』は、1993年にこの曲を追加したバージョンで再リリースされた(ボーナス・トラックという位置づけ)。しかしこの曲は本来『ブーメラン』のサウンドトラックとして収録した1曲という扱いだったこともあり、のちにマイケル・ビヴンズがプロデュースした『イースト・コースト・ファミリーVol. 1』 (East Coast Family, Vol. 1) ではシングルコレクションのひとつとしかみなされなかった。このコンピレーション・アルバムをリリースしてほどなく、グループとマイケル・ビヴンズの共作関係は終わりを迎え、彼らはあくまでプロとしての職業的な意味で決別することになった。ボーイズIIメンはその後も数年間、ベイビーフェイスをはじめとする著名プロデューサーと曲を作り続けた。
1994年: II

クリスマス向けコンピレーションアルバム『レット・イット・スノウ』 (Christmas Interpretations) を1993年にリリースすると、彼らは再びスタジオワークに戻った。前作以上の期待が寄せられたのは言うまでもなく、彼らは見事にそれに答えた。1994年、『II』がリリースされる。このアルバムはアメリカ国内だけで1200万枚を出荷、R&Bグループがこれまでリリースしたアルバムのベストセラーのひとつであり、1990年代を代表するアルバムのひとつである。

アルバムに収録されている曲の多くは、Tim & Bob(ティム・ケリーとボブ・ロビンソン)(5曲)、ベイビーフェイス(2曲)そしてあのジャム&ルイス(2曲)によるもの。ジャム&ルイスの「オン・ベンデッド・ニー」 (On Bended Knee) 、ベイビーフェイスの「メイク・ラヴ・トゥ・ユー」 (I'll Make Love to You) そして「ウォーター・ランズ・ドライ」 (Water Runs Dry) は、このアルバムを代表するシングルとしてヒットした。

「メイク・ラヴ・トゥ・ユー」は「エンド・オブ・ザ・ロード」が記録したBillboard Hot 100チャート13週連続1位の記録を打ち破り、14週間連続でチャート1位に居続けた[注釈 3]。この曲に入れ替わって1位になったのが「オン・ベンデッド・ニー」。Billboard Hot 100チャート1位を自らの曲で更新したアーティストとしては、ビートルズ、エルヴィス・プレスリーに次いで3組目となった。

第37回グラミー賞(1995年3月1日)。彼らはR&Bベストアルバム部門(『II』)、そしてR&Bデュオ/グループベストヴォーカル部門(「メイク・ラヴ・トゥ・ユー」)の2部門で賞を獲得した。
1997年?1998年: 『エヴォルーション』のリリース、そしてレコード会社との軋轢

モータウンは『リミックス・コレクション』 (The Remix Collection) の制作にとりかかる。『クーリーハイハーモニー』と『II』からの曲をリミックスしたコンピレーションアルバムだったが、これに対しグループは異を唱える。彼らにしてみれば、このアルバムに収められた「編集もの」はボーイズIIメンを代表する曲とはとうてい言いがたいものだったからだ。しかしアルバムは彼らの許可なしにリリースされた。これがモータウンと彼らとの間に生まれたわだかまりの発端だった。ほどなくして彼らはレコード会社を立ち上げる(ストーンクリーク社。のちにアンクル・サムの作品をリリースする)。ストーンクリークで制作した作品はモータウンではなくエピックレコード社からリリースされた。

サードアルバム[注釈 4]『エヴォルーション』 (Evolution) は1997年半ばにリリースされた。この作品は賛否両論を呼ぶ出来で、売り上げは300万枚。1200万枚という前作『II』の桁外れの記録や、『クーリーハイハーモニー』の900万枚にはとうてい及なかった。このアルバムの収録曲でBillboard Hot 100チャート1位を記録したのはジャム&ルイスがプロデュースした「シーズンズ・オブ・ロンリネス」 (4 Seasons of Loneliness) のみ。


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