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ボヴァリー夫人
Madame Bovary
初版の扉ページ
作者ギュスターヴ・フローベール
国 フランス帝国
言語フランス語
ジャンル長編小説
発表形態雑誌連載
初出情報
初出『パリ評論』
1856年10月号 - 12月号
刊本情報
出版元レヴィ書房
出版年月日1857年4月
日本語訳
訳者中村星湖
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『ボヴァリー夫人』(ボヴァリーふじん、仏:Madame Bovary)は、フローベールの長編小説。彼の代表作として知られると共に、19世紀フランス文学の名作と位置づけられている[1]。
田舎の平凡な結婚生活に倦怠した若い女主人公エマ・ボヴァリーが自由で華やかな世界に憧れ、不倫や借金地獄に追い詰められた末、人生に絶望して服毒自殺に至っていく物語である。
1856年10月から12月にかけて文芸誌『パリ評論』に掲載され、姦通を賛美するような記述などから、翌1857年1月に風紀紊乱・宗教冒涜の罪(「公衆道徳および宗教に対する侮辱」)で起訴されるも、2月に無罪判決を勝ち取り、刊行本が同年4月にレヴィ書房より出版されるや、裁判沙汰の効果もあって飛ぶように売れ、たちまちベストセラーとなった[2][3][1]。 フローベールは本作品に約4年半の歳月をかけ、その執筆期間に徹底した文体の彫琢と推敲を行なった[2]。ロマン主義的な憧れが凡庸な現実の前に敗れ去る様子を、精緻な客観描写、自由間接話法(作中人物の内面から生まれる言葉を活き活きと再現させる特色を持つ)を方法的に多用した細かな心理描写、多視点的な構成によって描き出したこの画期的な作品は、フランス近代小説を代表する傑作となり[2]、作中人物に寄り添った、その「視点」の小説技法は、その後のジェイムズ・ジョイスをはじめとする前衛的小説やヌーヴォー・ロマンの先駆けとしても位置づけられている[4]。サマセット・モームは、本作品を『世界の十大小説』の1つに挙げている。 言語の美を構築した本作品は写実主義を憎悪したフローベールの意に反して写実主義の傑作と評され、彼は「リアリズムの父」と呼ばれるようになった[3][4]。フローベールが「ボヴァリー夫人は私なのです」と言ったとされる有名な逸話があることでも知られており、夢と現実の相剋に悩むヒロインの性癖を表わす「ボヴァリスム」 (bovarysme) という造語も生まれた[1]。この造語は、現実の自分とは違う自分を想い描き、それを実現できない無力感に苛立つことであり、それが嵩じると人生への漠然とした全面的欲求不満に苛まれ出す、といった様相の概念として、今日では辞書にも掲載されている[1][注 1]。 ある日、ルーアンの年少学校に内気そうな田舎の少年が転入してくる。シャルル・ボヴァリーという名の彼は、退職した軍医補の息子であった。まじめな勉強ぶりで中程度の成績を保って落第せず、そのうち親の希望で医学校に進み、トストの開業医となった。 仕事に就いたシャルルは両親の勧めるまま、持参金のたっぷりある年上の45歳の未亡人エロイーズと結婚する。
総説
あらすじ
第一部