ボンバルディア・ダブルデック・コーチ
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第3世代(左)、第1世代(ただし前面は第4世代と同一仕様に改造)(右)
2015年撮影)

この項目では、ドイツの鉄道車両メーカーであるボンバルディア・トランスポーテーションドイツ(旧:東ドイツ)を中心に世界各国へ展開する2階建て客車ドイツ語: Doppelstockwagen)について解説する。1998年に同社に買収されたゲルリッツ車両工場(ドイツ語版)が東ドイツ時代に開発したボギー式客車を基礎としており、2020年現在まで幾度かの設計の刷新が行われている[1][2][3]
開発までの経緯

ボンバルディア・トランスポーテーションドイツゲルリッツに所有する鉄道車両工場の前身となったゲルリッツ車両工場(ドイツ語版)は、1849年に創設された長い歴史を持つ鉄道車両工場である。この工場で初めて製造された2階建て車両は、ゲルリッツ車両・機械工場(ドイツ語版)という社名であった1936年ハンブルクリューベックを結ぶ都市間列車向けに開発された運転台付きの2車体連接客車であった。その後、第二次世界大戦を経て東ドイツの国営企業(VEG)となったゲルリッツ車両工場では、この客車を基にした連接式2階建て客車の生産を1951年から始め、東ドイツ国内に加えてチェコスロバキアポーランドなど他の東側諸国への輸出も実施された[1][4][5][6][7]

これらの連接式2階建て客車は定員数の増加に加えて必要車両数や機関車の消費燃料・電力削減などの利点を有していたが、その一方で複数の車体によるユニット単位[注釈 1]での運用を必要とする事から需要の増減への対応が難しく、更に1つの車体が事故などで損傷した場合ユニット全体を運用から離脱させなければならなかった。そこで、ゲルリッツ車両工場は連接車に代わって1両単位で運用可能なボギー式の2階建て客車の開発を決定し、1971年に2両の試作車を製造した。そして長期に渡る試運転を経て、1974年から量産が開始された[4][5][8]

1936年に製造された初の2階建て客車(2009年撮影)

連接式2階建て客車(1991年撮影)

東ドイツドイツ国営鉄道)向けに運転台付きの編成も作られた(1993年撮影)

第1世代第1世代
ドイツ国営鉄道向け車両
ドイツ鉄道時代、1997年撮影)

2階建て客車は全金属・溶接構造を用いた全長26.8 mの大型車体を有し、台車はゲルリッツ車両工場で開発されたゲルリッツVI型ボギー台車(Gorlitz VI)が用いられ、制動装置として踏面ブレーキディスクブレーキが搭載された。両開きの乗降扉は1階部分に2箇所設置されており、低床式プラットホームに対応していた。車内の座席は2 + 2列配置のクロスシートを基本としていた、車端の平屋部分にはロングシートが設置された。電源の供給に関しては運用の柔軟性を図るため充電池発電機が各車両に搭載された分散電源方式が採用された。屋根部は三角形状の傾斜を持った構造となっていたがこれは車両限界が要因であり、以降の2階建て客車も同様の構造が用いられる事となった[4][5]

東ドイツドイツ国営鉄道)向けの量産車は1974年に1次車となる138両が製造された後、1986年に2次車(230両)、ドイツ再統一[注釈 2]1991年に3次車(86両)が増備された。運転台がない通常の客車に加えてプッシュプル列車向けの運転台付きの制御車が製造された他、2次車以降は1階部分に荷物室が設置された車両も導入された。当初の塗装は濃い緑色の1色塗りであったが、1980年以降は「からし入れ(Senftopf)」とも呼ばれる薄い茶色白色を用いた塗装への変更が実施された。また、ベルリン近郊の通勤路線「スプートニク(Sputnik)」で使用された車両は赤色ベージュを用いた塗装を纏っていた[4][5][6][11]

この2階建てボギー客車は東ドイツ以外にもチェコスロバキア(→チェコスロバキア)やポーランドなどの東側諸国にも輸出されており、民主化を経た2000年代以降は各国で内装の近代化を始めとした更新工事が積極的に行われている[4][5][11][12]。「チェコスロバキア国鉄Bmto292形客車(チェコ語版、ポーランド語版)」も参照


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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