ボローニャFC
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ボローニャFC

原語表記Bologna Football Club 1909 S.p.A.
愛称Felsinei(フォルシナ人)
Rossoblu(赤と青)
Veltri(猟犬)
Petroniani(ペトローニャ人)
クラブカラー    紺色
   
創設年1909年
所属リーグセリエA
所属ディビジョン1部(2023-24
昨季リーグ順位9位(2022-23
ホームタウン ボローニャ
ホームスタジアム
レナート・ダッラーラ
収容人数38,279
代表者 ジョーイ・サプート(英語版)
監督 ティアゴ・モッタ
公式サイト公式サイト

ホームカラーアウェイカラーサードカラー

テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ボローニャ・フットボール・クラブ1909(Bologna Football Club 1909 S.p.A.)は、イタリアエミリア=ロマーニャ州ボローニャを本拠地とするサッカークラブチームである。2023-24シーズンはセリエAに在籍している。
歴史
第二次大戦前

1909年に創立。第二次世界大戦以前はイタリア屈指の強豪として知られ、セリエAが創立される以前に2回(1924-25、1928-29)のイタリア王者に輝く。1929年にセリエAがスタートしてからも、1935-36シーズンからの2連覇を含め1941年までに4度のスクデットを獲得した。
第二次大戦以降

戦後はしばらく優勝争いから遠ざかっていたものの、1963-64シーズンに23年ぶりのリーグ優勝を果たし、1969-70、1973-74シーズンにはコッパ・イタリアを制した。

ところが、1980年代に入ってチームは大きく失速。1981-82シーズンは15位に終わり、リーグ創設以来初となるセリエB降格を味わうと、翌シーズンにはセリエC1まで降格。1シーズンでC1は脱したものの、セリエA復帰には1988-89シーズンまで待たなくてはならなかった。セリエA復帰後も勢いは続かず、わずか3シーズンでセリエB降格、2年後には再びセリエC1に降格。この1993年には、運営会社が経営危機に陥り、現在の新会社ボローニャFC 1909(Bologna Football Club 1909)を設立して再スタートを切るという事態も起きた。

1990年代後半にはセリエAに復帰し、UEFAカップにも出場するなど古豪復活の兆しはあったが、2004-05シーズンは18位と低迷してセリエB降格。2008-09シーズンにセリエAへ返り咲いたものの、以降も降格争いに巻き込まれるシーズンが続いた。

2015-16シーズン以降はセリエAに在籍。2022-23シーズンを9位と一桁順位で終えると、2023-24シーズンは躍進し、ローマ、ラツィオを抑え5位に入り、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得。1964?65シーズンにCLの前身大会である『チャンピオンズカップ』予選に1度だけ出場して以来、欧州最高峰の舞台に60年ぶりに帰ってくることになった[1]
買収

2008年6月、アメリカ合衆国の『TAG Partners』とクラブの買収について合意。これにより、セリエAで唯一の国外企業所有のクラブとなるはずであったが、資金調達難航で失敗。地元建設業者のメナリーニ家がかわって買収し、2010年夏まで会長を務めた。2010年12月、給与未払いなど破産危機に陥り、経営権は『セガフレード』社を保有するマッシモ・ザネッティらをはじめとするグループに移行した。

2014年10月、アメリカ人実業家のジョー・タコピーナがボローニャを買収したが[1]、現在はモントリオール・インパクトのオーナーでもあるジョーイ・サプートが会長を務めている。
エピソード

スランプに陥った30代の選手がこのクラブに移籍すると復活すると言われている。

ACミランで不遇をかこっていた当時30歳のロベルト・バッジョは、1997-1998シーズンに移籍。30試合で22ゴールを挙げた。

SSラツィオで居場所を失ったジュゼッペ・シニョーリは、UCサンプドリアを経て1998年にボローニャFCへ移籍。1968年に生まれ、30歳となった彼はこのシーズンで47試合23ゴール。ボローニャで過ごした6シーズンで178試合84ゴールの成績を残している。

マルコ・ディ・ヴァイオは2008-09シーズンにジェノアCFCから移籍。シーズン開幕後からゴールを量産し得点王争いを繰り広げ、最終節でズラタン・イブラヒモビッチに1ゴール差をつけられリーグ2位に終わるも、32歳にして自己最多の24ゴールをマーク。ボローニャのセリエA残留に大きく貢献した。ディ・ヴァイオの得点はチーム総得点の半分以上を占めた。

2012-2013シーズン、マルコ・ボリエッロの加入によりジェノアCFCから押し出される形で移籍した30歳のアルベルト・ジラルディーノは、加入後の5試合で5ゴールを挙げている。

タイトル
国内タイトル

セリエA:7回

1924?25, 1928?29, 1935?36, 1936?37, 1938?39, 1940?41, 1963?64



コッパ・イタリア:2回

1969?70, 1973?74


国際タイトル

ミトローパ・カップ:3回

1932, 1934, 1961



UEFAインタートトカップ:1回

1998


過去の成績

シーズンリーグ戦コッパ・イタリア欧州カップ
ディビジョン試勝分敗得失点順位
1946-47セリエA38159144241395位
1947-48401412145152408位
1948-4938121795346415位
1949-50388161454633215位
1950-5138169136159416位
1951-523811111645553316位
1952-5334167115243395位
1953-5434148125041366位
1954-5534151095647404位
1955-5634157126852375位
1956-57341211115448355位
1957-58341210124743346位3回戦敗退
1958-593410111347533110位準々決勝敗退
1959-6034148125042365位ベスト16
1960-61341011134451319位ベスト16
1961-623419785741454位2回戦敗退
1962-633417895839424位ベスト16
1963-6434221025418541位準々決勝敗退
1964-65341112114342346位準々決勝敗退EC予備戦敗退
1965-663419876037462位1回戦敗退
1966-673418974827453位準々決勝敗退FC準々決勝敗退
1967-6834111183023335位4回戦敗退FC準決勝敗退
1968-6934109112736299位1回戦敗退FC2回戦敗退
1969-7030616822242810位優勝
1970-7130101463024345位1回戦敗退CWC1回戦敗退
1971-72307111212282511位2回戦敗退UC2回戦敗退
1972-7330119103331317位2回戦敗退
1973-743061773536299位優勝
1974-7530101283633327位2回戦敗退CWC1回戦敗退


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