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ルートヴィッヒ・ボルツマン
生誕Ludwig Eduard Boltzmann
(1844-02-20) 1844年2月20日
オーストリア帝国 ウィーン
死没 (1906-09-05) 1906年9月5日(62歳没)
オーストリア=ハンガリー帝国 Tybein(現ドゥイーノ)
研究分野物理学
研究機関グラーツ大学
ウィーン大学
ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン
ライプツィヒ大学
出身校ウィーン大学
博士課程
指導教員ヨーゼフ・シュテファン
博士課程
指導学生ポール・エーレンフェスト
他の指導学生リーゼ・マイトナー
ヴァルター・ネルンスト
主な業績ボルツマン定数
ボルツマン方程式
ボルツマン分布
H定理
マクスウェル分布
シュテファン=ボルツマンの法則
署名
プロジェクト:人物伝
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ボース=アインシュタイン
フェルミ=ディラック
パラ(英語版) · エニオン · 組み紐(英語版)
カノニカルアンサンブル
グランドカノニカルアンサンブル
等温定圧アンサンブル
等エンタルピー-定圧
熱力学ポテンシャル
内部エネルギー
エンタルピー
ヘルムホルツの自由エネルギー
ギブズの自由エネルギー
グランドポテンシャル
科学者
マクスウェル · ギブズ · ボルツマン · アインシュタイン · オンサーガー · ウィルソン · 久保亮五 · カダノフ · フィッシャー · 川崎恭治 · パリージ(英語版) · エドワーズ(英語版) · ローレンツ · 蔵本由紀 · ジャルジンスキー · 西森秀稔 · 田崎晴明
表・話・編・歴
ウィーンにあるボルツマンの墓にはエントロピーの公式が刻まれている。
ルートヴィッヒ・エードゥアルト・ボルツマン(Ludwig Eduard Boltzmann, 1844年2月20日 - 1906年9月5日[1])はオーストリア・ウィーン出身の物理学者、哲学者でウィーン大学教授。統計力学の端緒を開いた功績のほか、電磁気学、熱力学、数学の研究で知られる。目次 1844年、ウィーンに生まれた。父は税務官であった。少年時代にはアントン・ブルックナーからピアノの手ほどきを受け、生涯にわたりピアノ演奏を好んだ。 1866年にウィーン大学で学位を取得、翌年ヨーゼフ・シュテファンの助手となり、1869年にグラーツ大学の数理物理学助教授に就任した。 ジェームズ・クラーク・マクスウェルらに続いて気体分子運動論を研究し、さらに分子の力学的解析から熱力学的な性質を説明する統計力学を創始した。その過程で、1872年にH定理により熱現象の不可逆性(エントロピーの増大)を証明した (L. Boltzmann: Wien Ber. 66, 275 (1872))。 1877年に発表した論文「熱平衡法則に関する力学的熱理論の第2主法則と確率計算の関係について」(L. Boltzmann: Wien Ber. 76, 373 (1877)) においてボルツマンの関係式、 S = k log W {\displaystyle S=k\,\log W} を導き、エントロピーと系のとりうる状態との関係を明らかにした。上式における比例定数kはボルツマン定数と呼ばれている。 エントロピーは「でたらめさの尺度」として解説されることが多いが、本来エントロピーとは、ルドルフ・クラウジウスによって、カルノーサイクルの性質を語る中で、 d S = d Q / T {\displaystyle dS=dQ/T} という式の形で、dSとして発見された関数であった(dQ: 熱の微量変化、dS: エントロピーの微小変化、T: 温度)。そのエントロピーが、詰まるところ原子・分子などの「でたらめさ」の尺度であることを論証したのが、ボルツマンが導いたこの式 ( S = k log W {\displaystyle S=k\,\log W} ) であった。
1 生涯
2 評価
3 脚注
4 関連項目
生涯