ボリス・ベッカー
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ボリス・ベッカー
Boris Becker


2019年のベッカー
基本情報
フルネームBoris Franz Becker
国籍 ドイツ
出身地 西ドイツライメン
生年月日 (1967-11-22) 1967年11月22日(56歳)
身長190cm
体重85kg
利き手右
バックハンド片手打ち
殿堂入り2003年
ツアー経歴
デビュー年1984年
引退年1999年
ツアー通算64勝
シングルス49勝
ダブルス15勝
生涯通算成績967勝350敗
シングルス713勝214敗
ダブルス254勝136敗
生涯獲得賞金25,080,956 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪優勝(1991・96)
全仏ベスト4(1987・89・91)
ウィンブルドン(英)優勝(1985・86・89)
全米優勝(1989)
優勝回数6(全豪2・全英3・全米1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪ベスト8(1985)
全仏1回戦(1984)
ウィンブルドン(英)2回戦(1985)
全米2回戦(1985)
国別対抗戦最高成績
デビス杯優勝(1988・1989)
キャリア自己最高ランキング
シングルス1位(1991年1月28日)
ダブルス6位(1986年9月22日)
獲得メダル

男子 テニス
オリンピック
1992 バルセロナダブルス

■テンプレート  ■プロジェクト テニス

ボリス・ベッカー(Boris Becker、1967年11月22日 - )は、旧西ドイツライメン出身の元男子プロテニス選手。プロ・ポーカー・プレーヤー。2歳年下のシュテフィ・グラフとともに、ドイツのテニス界の黄金時代を築いたスター選手だった。4大大会通算「6勝」を挙げる。ATPツアーでは、シングルスで4大大会6勝を含む49勝、ダブルスで15勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス1位、ダブルス6位。フルネームは Boris Franz Becker (ボリス・フランツ・ベッカー)という。

2008年よりプロのポーカー・プレーヤーとしてのキャリアをスタートさせた。またオンライン・ポーカーを運営する会社と既にスポンサー契約を結んでいる。
プレースタイル

オープンスタンスから放たれる強烈なサーブは「ブンブン・サーブ(boom boom serve、「boom boom」は大砲の爆撃音を表す)」という愛称で呼ばれたビッグサーバーである。ただし、サーブの名付け親とされる坂井利郎が本人に了解を求めたところ、「東京の大会で初めて試したので、<東京サーブ>と呼んでほしい」との返答だったという。
キャリア

1984年にプロ転向。1985年ウィンブルドン選手権にて、大会史上最年少の「17歳7ヶ月」で初優勝を飾る。世界ランキング38位のノーシードから勝ち上がり、決勝で南アフリカケビン・カレンを 6-3, 6-7, 7-6, 6-4 で破った。敗れたカレンはコナーズ、マッケンローらを破って勝ち上がったが最後は17歳の新鋭の前に屈した。翌1986年にも同選手権で決勝に進み、悲願の初優勝を目指したナンバー1のイワン・レンドルを破り、18歳で大会2連覇を達成。1987年はまさかの2回戦敗退に終わったが、1988年から1991年にかけて4年連続で同選手権の決勝に進出する。そのうち1988年から1990年までは3年連続でステファン・エドベリと決勝で対戦した。1989年はエドベリを破って優勝を果たしたが、1988年と1990年には敗れている。1991年には、テニス4大大会史上初の「ドイツ対決の決勝」をミヒャエル・シュティヒと戦ったが、1歳年下のシュティヒにストレートで敗れ、3度目の準優勝となった。その後もウィンブルドンでは1995年に準優勝(決勝でピート・サンプラスに敗退)するなど好成績を出し続け、ウィンブルドンでは通算71勝(12敗)を挙げた。

ベッカーはダブルスでも通算15勝を挙げたが、その中には1992年バルセロナ五輪の男子ダブルスで、ドイツ代表選手としてミヒャエル・シュティヒとペアを組んだ金メダルも含まれている。

ベッカーはウィンブルドン選手権で3度の優勝、4度の準優勝など大活躍し、ウィンブルドン71勝はコナーズ・フェデラーの84勝に次ぐ歴代3位の記録である。ベッカーは1989年にウィンブルドンに続いて全米を制し、初めてウィンブルドン以外のグランドスラムタイトルを獲得した。その後1991年には全豪オープンでも初優勝を果たし、キャリア終盤の1996年には2度目の全豪制覇を成し遂げている。1996年の全豪決勝では、ベッカーと同じく17歳でグランドスラム初優勝を果たしたマイケル・チャンと好勝負を繰り広げた。ベッカーの全仏オープンの最高成績はベスト4である(1987年1989年1991年)。ベッカーは全仏を筆頭にクレーコートでは1つもタイトルを獲得できなかった。

年間最終戦でも長く活躍し、3度の優勝、5度の準優勝を記録している。

ベッカーは多くの選手たちの間でも才能では1番と言う声は強かったが、要所で勝ち切れず世界ランク1位在位はわずか12週でライバルのエドベリの72週と比べずっと短い。ウィンブルドンや年間最終戦などでも決勝には多く進出するが準優勝が多く、勝ち切れない面がよく出ている。

ボリス・ベッカーは1999年ウィンブルドン選手権4回戦でパトリック・ラフターに敗れ、現役引退を表明した。2003年国際テニス殿堂入りを果たしている。

2013年12月18日、ノバク・ジョコビッチのコーチに就任することが発表されたが、2016年12月6日にジョコビッチのオフィシャルサイトにてコーチ契約解消が発表された[1]
ライバル・エドベリ

ベッカーはよくステファン・エドベリとライバル関係として語られることが多い。その最大の要因はウィンブルドン決勝で3年連続で対戦したことである。また、1991年の決勝ではシュティッヒと対戦したが、シュティッヒは準決勝でエドベリを4-6,7-6,7-6,7-6で破っている。この試合エドベリは1度もブレークされておらず、紙一重のところで4年連続の対戦が実現しなかったことになる。なお、両者のグランドスラムでの対戦はこの3度以外では1度しかない。この3年連続の対戦はエドベリの2勝1敗に終わった。また、世界ランク1位在位でもエドベリ72週に対し、ベッカーは12週にとどまっている。このことから一見エドベリの方が優勢だったかに見えるが、実際にはこの両者の35度の対戦ではベッカーが25勝10敗と大勝している。また、1位ではエドベリが長いが、トップ5やトップ10の在位週数はベッカーのほうが長い。しかし、要所の対戦ではエドベリが勝っており、このことが両者のライバル関係を強調すると同時にここでもベッカーの要所での弱さが露見している。
記録
ウィンブルドン選手権最年少優勝「17歳7ヶ月」

パリ・マスターズ優勝「3回」
マラト・サフィンノバク・ジョコビッチとタイ記録。
世界ランキング1位の選手に勝利「19勝」
ラファエル・ナダルとタイ記録。
セット0?2 からの逆転勝利数「10回」
アーロン・クリックステインロジャー・フェデラーとタイ記録。
4大大会優勝

全豪オープン:2勝(1991年、1996年)

ウィンブルドン選手権:3勝(1985年、1986年、1989年) [準優勝4度:1988年、1990年、1991年、1995年]

全米オープン:1勝(1989年)

年大会対戦相手試合結果
1985年ウィンブルドン ケビン・カレン6-3, 6-7, 7-6, 6-4


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