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出典検索?: "ボブ・サップ"
ボブ・サップ
Bob Sapp
基本情報
本名ロバート・マルコム・サップ
(Robert Malcolm Sapp)
通称ザ・ビースト
野獣
暗黒肉弾魔人
無敵の暴走機関車
筋肉の二世帯住宅
国籍 アメリカ合衆国
生年月日 (1973-09-22) 1973年9月22日(50歳)
出身地 アメリカ合衆国・コロラド州コロラドスプリングス
所属モーリス・スミス・キックボクシングセンター
→チーム・ビースト
身長200cm[1]
体重147kg[1]
リーチ210cm
階級ヘビー級
バックボーンアメリカンフットボール
キックボクシング
テーマ曲ツァラトゥストラはかく語りき
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試合中のサップ
ボブ・サップ(Bob Sapp、1973年9月22日[2] - )は、アメリカ合衆国コロラド州コロラドスプリングス出身のキックボクサー、プロボクサー、プロレスラー、総合格闘家、タレント、俳優、元アメリカンフットボール選手。K-1 WORLD GP 2005 IN HIROSHIMA JAPAN GP優勝。第37代IWGP ヘビー級王者。WWA世界ヘビー級王者。
本名はロバート・マルコム・サップ(Robert Malcolm Sapp)。2005年にはマーベル・コミックの『エレクトラ』に出演しハリウッドデビューを果たす。 この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2013年10月) 教育熱心で厳格な家庭で育った。特に両親の離婚後母の教育熱がエスカレートし、テレビは教育テレビのみ視聴することを許されていたとインタビューで語った。 少年時から様々なスポーツに取り組み、高校時で既に体重115kgという大柄だった。ワシントン州シアトルにあるワシントン大学にアメリカンフットボールの特待生として入学し、学業では社会学と薬学を専攻。カレッジフットボールではオフェンスのラインとして活躍し、1997年1月のシニアボウルにメンバーにも選ばれた[3]。 一部報道によると、不仲の両親、育児放棄の母親のもとで育ったといい、14歳の時に年齢を偽り警備業に就いたとある[4]。 1997年、NFLのシカゴ・ベアーズにドラフト3巡(全体69位)指名されて[5]入団したが、シーズン開幕前に禁止薬物使用により[4]ベアーズから解雇された[6]。その後度重なる故障に見舞われ、その後ミネソタ・バイキングス、ボルチモア・レイブンズ、オークランド・レイダースに所属した[7]。 2000年、両足のアキレス腱を痛め、負傷前の実力を取り戻すに至らなかったため、現役続行を断念。プロレスラーに転向し、アメリカ合衆国のプロレス団体であるWCWに入団して、団体の養成所である「パワープラント」に一時期所属[8]していたがWCWが倒産したため数試合の(前座)出場のみにとどまった。後、病院に遺体搬出の仕事に就き収入を得る[4]。NFL時代のパワーリフトMAXは、ベンチプレス266kg、インクラインベンチ363kg、パワークリーン191kgと公表している[9]。 2002年、同じく元WCWの選手で友人のサム・グレコの紹介でK-1にスカウトされ、格闘家としてPRIDE、K-1に参戦。K-1とは何をするか決まっていないまま契約したため、最初は石井和義のボディーガードをやるという話もあったという。因みに契約内容は、1年間で契約金とファイトマネー込みで10万ドル(約950万円)という、後の活躍からは考えられないほどの内容であった[10]。試合ではフットボールの経験を生かした肉弾的な戦いを得意とし、自らをビーストと呼ぶことから、「野獣」「ビースト」といったキャッチコピー(ちなみに、PRIDEにデビューした当初は「暗黒肉弾魔人」)を得た。格闘家として活躍時の体脂肪率は11 - 13%程度で、筋力維持のため毎日400g程度のプロテインパウダーを摂取しトレーニングに励んでいた[9]。来日当初は異国の勝手がわからず、その巨体を小さくして萎縮していたが、活動初期には手にした生肉を貪り食うなど食人を意識したギミック(役付け)で登場。 4月28日、PRIDE.20で日本デビュー。山本憲尚(現山本宜久)を1R2分44秒で下した。 6月2日、K-1 SURVIVAL 2002で中迫剛と対戦、K-1ルールを無視して中迫を投げ飛ばし上から殴るなど暴走し反則負け。乱闘騒ぎになる大荒れの試合となった。試合後、石井和義館長は「このままでは収まらない。2人にはきっちり決着をつけさせる」と明言した。 6月23日、PRIDE.21で田村潔司と対戦、開始11秒でTKO勝利。 8月28日、Dynamite!にてアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに2ラウンド4分02秒で一本負けを喫するも、ノゲイラのフィニッシュ・ホールドである三角絞めを、持ち上げてリングに叩きつけて阻止するなど、その怪力ぶりを発揮。一般にこれが彼の本格的なブレイクとされる[10]。 9月22日、K-1 ANDY SPIRITSでシリル・アビディと対戦し、KO勝ち。 10月5日、K-1 WORLD GP 2002 開幕戦にてアーネスト・ホーストと対戦、パンチと圧力で攻め1R終了時にドクターストップによりTKO勝ち。
来歴