ボブ・アラム
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ボブ・アラム
2010年4月、記者会見でのアラム
生誕 (1931-12-08) 1931年12月8日(89歳)
ニューヨーク州ブルックリン
国籍アメリカ合衆国
職業ボクシングプロモーター

ボブ・アラム(Robert "Bob" Arum、1931年12月8日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン生まれのユダヤ人系のプロボクシングプロモータートップランク社CEO。プロボクシングの本場アメリカで、なおかつ競争が厳しく新陳代謝の激しいボクシング業界において、85歳を超える現在でも、トップクラスでプロモーターを長く続けている辣腕として知られている。同じ米国のボクシングプロモータードン・キングとは、1970年代半ばからキングが凋落する2000年頃まで、ライバル関係にあった。目次

1 人物・評価

2 歴史

3 脚注

4 関連項目

5 外部リンク

人物・評価

ヘビー級に偏重するきらいのあったドン・キングに比べ、重量級に偏重しない傾向があり、1990年代から2000年代中盤における最大級のスターボクサーオスカー・デ・ラ・ホーヤを、1992年バルセロナオリンピック優勝直後に、史上最高の契約金100万ドルで獲得し、キャリアの中期までプロモートした。

スキャンダル続出のドン・キングに比べ、一見トラブルの少ないイメージがあるが、海千山千の業界を生き残ってきたことからも分かるようにトラブルも少なくなく、過去に傘下の選手から何度もプロモート権やマネージャーの権利やファイトマネーなどをめぐって裁判沙汰になったことがあり、前述のデ・ラ・ホーヤは2002年にトップランク社から離脱している。2000年には、アラムがIBFの代表に賄賂を贈っていたことをドン・キングに暴露された[1]

マイク・タイソンを育て上げた名トレーナーのカス・ダマトは、「西半球で最低な男」と罵倒するほどアラムを忌み嫌っていた。また、シュガー・レイ・レナードの専属マネージャーだったマイク・トレーナー弁護士は、レナードの世界初挑戦の際、王座獲得の場合に行う防衛戦で格安の専属契約を押し付けられそうになった(トレーナーは交渉の末、これを拒否)件をきっかけに、アラムを毛嫌いしていた。

しばしば人種差別的な発言をして批判を浴びることも多い。過去には黒人やヒスパニック系に対する差別発言をしたほか、2009年には総合格闘技UFCとUFCファンのことを「スキンヘッドの白人連中」「グラウンドでホモみたいに抱き合ってるだけのもの」と差別用語を使って侮辱した[2]

1990年代後半頃から、米国内のヒスパニック系民族の市場に目をつけ、ヒスパニック人口の多いアメリカ南西部での興行を増やし、多くのメキシコ系ボクサーと契約。東部ではプエルトリコ人のミゲール・コットをプロモートしてトップスターに仕立て上げた。 2010年6月のミゲール・コットユーリ・フォアマン戦に向けて、記者会見でスピーチをするアラム。

ドン・キングが凋落した2000年代以降は、オスカー・デ・ラ・ホーヤ主宰のゴールデンボーイプロモーションズと共に、世界二大プロモーターと評価され鎬を削っている。当初は不仲な感情を抑えて、互いがプロモートする選手同士の対戦や興行の実現をしていたものの、2010年代に入ると両者の対立はさらに悪化。


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