ボビー・シャンツ
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ボビー・シャンツ
Bobby Shantz
1951年の訪日時
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ペンシルベニア州ポッツタウン
生年月日 (1925-09-26) 1925年9月26日(98歳)
身長
体重5' 6" =約167.6 cm
142 lb =約64.4 kg
選手情報
投球・打席左投右打
ポジション投手
プロ入り1948年
初出場1949年5月1日
最終出場1964年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


フィラデルフィア・アスレチックス
カンザスシティ・アスレチックス
(1949 - 1956)

ニューヨーク・ヤンキース(1957 - 1960)

ピッツバーグ・パイレーツ(1961)

ヒューストン・コルト45's(1962)

セントルイス・カージナルス(1962 - 1964)

シカゴ・カブス(1964)

フィラデルフィア・フィリーズ(1964)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ロバート・クレイトン・シャンツ(Robert Clayton "Bobby" Shantz、1925年9月26日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ポッツタウン出身の元プロ野球選手投手)。左投げ右打ち)。

1952年のアメリカンリーグ最優秀選手。小柄だったがフィールディングに優れ、メジャーリーグベースボール(MLB)で1957年から始まったゴールドグラブ賞の最初の受賞投手となった[1]
経歴

1948年にアマチュアから当時のフィラデルフィア・アスレチックスに入団し、1949年にメジャーリーグに昇格した。3年目の1951年に18勝と2桁勝利に乗せた。この年の秋にはメジャーリーグ選抜の一員として日米野球に参加。パリーグ選抜に1-3で敗れメジャーリーガーとしては初めて日米野球の敗戦投手となっている。翌1952年には24勝7敗でアメリカンリーグの最多勝利投手となった。この年は開幕から白星を重ね、当時シーズン30勝の可能性も報じられたそうだが、死球を受けそれ以上の勝ち星を伸ばせなかったという。同年のオールスターゲームでは1イニングを投げ、ホワイティー・ロックマン、ジャッキー・ロビンソンスタン・ミュージアルを三者連続三振に抑える好投も見せた。

緊縮財政下だったアスレチックスが当時活躍した選手たちをすぐ放出したこともあり、その後シャンツもなかなか勝ち星をあげられず徐々に先発から抑え投手へと転向していった。シャンツ自身も1957年にヤンキースにトレードで移籍したが、移籍後11勝5敗と防御率2.45の成績を残し、リーグ最優秀防御率投手になるとともに、自身3度目のオールスター出場も果たした。ヤンキースには1960年まで在籍し2度のワールドシリーズ出場を経験したが、同年ワシントン・セネタースエクスパンション・ドラフトの際ヤンキースを離れると、以後ナショナルリーグの球団を転々とした。シャンツは引退する1964年まで8年連続でゴールドグラブ賞を受賞しているが、特に最終年は1シーズンで3球団を渡り歩きながらの受賞であった。
この年最初に所属していたセントルイス・カージナルスからシカゴ・カブスに移籍したトレードではシャンツ含めて両チーム併せて6選手が移籍(3選手同士のトレード)した。この6選手の内の1人が当時は一介の若手選手に過ぎなかったが後にセントルイスの1番打者として活躍し、アメリカ野球殿堂にも選出されるルー・ブロックだった。
同年現役を引退。引退後のコーチ歴などはない。
詳細情報
年度別投手成績



度球
















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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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