ボビー・シグペン
Bobby Thigpenシカゴ・ホワイトソックス時代
(1987年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地フロリダ州タラハシー
生年月日 (1963-07-17) 1963年7月17日(60歳)
身長
体重6' 3" =約190.5 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1985年 MLBドラフト4巡目(全体85位)でシカゴ・ホワイトソックスから指名
初出場MLB / 1986年8月6日
NPB / 1994年6月11日
最終出場MLB / 1994年4月27日
NPB / 1995年6月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
アウチッラ・クリスチャンアカデミー
ミシシッピ州立大学
ロバート・トーマス・シグペン(Robert Thomas "Bobby" Thigpen, 1963年7月17日[1] - )は、アメリカ合衆国・フロリダ州タラハシー出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 1985年、ミシシッピ州立大学
経歴
1986年のメジャー昇格以後クローザーとして活躍し、1990年には当時のMLB新となるシーズン57セーブを記録。
1993年のシーズン途中、フィラデルフィア・フィリーズに移籍。
1994年は、シアトル・マリナーズでプレーしていたが、シーズン途中に福岡ダイエーホークスと契約し、抑えに定着。ダイエー入団直後の背番号は、直前に金銭トレードでヤクルトスワローズに移籍した広永益隆が着けていた47だったが、ケビン・ライマーが背番号を10から47に変更したため、シグペンもメジャーで慣れ親しんだ背番号37に変更した。これに伴いそれまで背番号37を着けていた吉武真太郎は背番号を67に変更している。
その年210安打を放ちプロ野球界に旋風を巻き起こしたイチローを、対戦打席が少ないとはいえ無安打に抑えるなど、安定した投球でその年17年ぶりの勝ち越しを果たしたダイエーの快進撃を支えた。しかし、1995年の6月にチームを離れた。
来日時には既に肩を壊しており、連投が利かなかったが、それでも2年間で53試合に投げ20セーブ、防御率1.94という成績を残した。
1996年は、古巣ホワイトソックス傘下のマイナーチームでプレーし、MLB復帰を目指すも叶わず、背中の痛みが治らなかったこともあり、そのまま現役を引退。
2011年にはホワイトソックス傘下のA+級ウィンストン・セイラム・ダッシュ(英語版)で投手コーチを務めており[2]、2013年から2016年までホワイトソックスのブルペンコーチを務めた。
投手としての球種はスライダー、カーブ、チェンジアップ。『guide to pitchers』(米書 より) 年
詳細情報
年度別投手成績
度球
団登
板先
発完
投完
封無
四
球勝
利敗
戦セ
h
ブホ
h
ル
ド勝
率打
者投
球
回被
安
打被
本
塁
打与
四
球敬
遠与
死