ボビー・ゴールズボロ
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ボビー・ゴールズボロ
ボビー・ゴールズボロ、1967年撮影
基本情報
出生名Bobby Goldsboro
生誕 (1941-01-18) 1941年1月18日(83歳)
出身地 アメリカ合衆国
フロリダ州マリアンナ[1]
学歴オーバーン大学中退
ジャンルカントリー
アダルト・コンテンポラリー
ポップ
職業歌手ソングライター
担当楽器
活動期間1962年 - [1]
レーベルLaurie、United Artists、Curb[1]
公式サイト ⇒www.bobbygoldsboro.com

ボビー・ゴールズボロ(Bobby Goldsboro、1941年1月18日 - )[2]は、アメリカ合衆国ポップ/カントリー系のシンガーソングライター1960年代から1970年代にかけて一連のヒットを飛ばし、チャートの首位に立った「Honey」は、合衆国内だけで100万枚以上の売上を記録した。
経歴
生い立ち

ゴールズボロは、フロリダ州マリアンナ (Marianna) に生まれた[2]1941年、一家は、マリアンナを離れ、35マイル(およそ56km)北に位置するアラバマ州ドーサンへ移り住んだ[1]。ゴールズボロは、1959年にドーサン高校 (Dothan High School) を卒業し、その後オーバーン大学に入学した。ゴールズボロは、大学を2年で退学し、音楽業界に身を投じた。1962年から1964年にかけては、ロイ・オービソンのバックで、ギターを演奏した。
ソロ・キャリア

 ボビーの最初ののシングルは1962年にローリー・レコードからだした「Molly」で全米70位を記録した。1963年にはUnited Artistsと契約した。ゴールズボロがソロとして何とか軌道に乗ったのは、トップ10入りのヒットとなったシングル「See the Funny Little Clown」(ひとりぼっちのクラウン)が出てからであった。このシングルは、ゴールズボロの自作で、1964年はじめに全米ヒット・チャートの第9位まで上昇した。売上は百万枚以上に達し、ゴールドディスクを受賞した[2]。これ以降も、同様の賞をいくつも受賞した。ゴールズボロは、Billboard Hot 100 のトップ40に16曲、カントリー・チャートに12曲を送り込んだ[1][3]

1966年には、「It's Too Late」を吹き込み、B面には「Too Many People」を収めた。ゴールズボロは、ダンス音楽はあまり手がけなかったが、この2曲はイギリスのノーザン・ソウル (Northern soul) における大ヒットとなり、広く聞かれた[4]

ゴールズボロの最大のヒットは、1968年の「Honey」で、この作品は、若い妻を亡くした男のことを歌ったお涙ちょうだいものである[1][3]。ボビー・ラッセル (Bobby Russell) が書いたこの曲は、たった1テイクで吹き込みが済まされたという[5]。 この曲は、1968年において最も売れた曲となって Billboard Hot 100 の首位に5週とどまり、全英シングルチャートでは、1968年と1975年の2回、最高2位まで上昇し[6]オーストラリアでは、シングル・チャートの首位に達した[2]。「Watching Scotty grow」(いとしのスコット)はマック・ディヴィスの作品で、1970-71年にかけてヒット、全米11位を記録。

1973年の「Summer (The First Time)」(思い出のサマータイム)は、米国でトップ20入りのヒットとなり、英国でも9位まで上昇した[7]。これに続いた「Hello Summertime」は、ロジャー・クック (Roger Cook) とロジャー・グリーナウェイ (Roger Greenaway) が書き、1974年後半に、英国でチャートの14位まで上昇するヒットとなった[6][7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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