ボビー・ウーマック
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ボビー・ウーマック
Bobby Womack
ボビー・ウーマック(2010年)
基本情報
出生名Robert Dwayne Womack
生誕 (1944-03-04) 1944年3月4日
出身地 アメリカ合衆国 オハイオ州クリーブランド
死没 (2014-06-27) 2014年6月27日(70歳没)
ジャンルR&Bソウルファンクゴスペル
職業シンガーソングライターギタリスト
担当楽器ギター
活動期間1952年 - 2014年
共同作業者ヴァレンティノス、パティ・ラベルサム・クックジョージ・ベンソン、セシル・ウーマック、ウーマック&ウーマック、メアリー・ウェルズ、ゴリラズラナ・デル・レイスライ・ストーン
公式サイト ⇒bobbywomack.com

ボビー・ウーマック[注 1](Bobby Womack、1944年3月4日 - 2014年6月27日)は、アメリカ合衆国ソウルR&Bシンガーソングライターギタリストである。

2009年ロックの殿堂入りを果たした[1]
来歴

オハイオ州クリーブランド出身。兄弟達と共にウーマック・ブラザーズというゴスペル・グループで活動していた頃、サム・クックに認められ、サムが主宰するレーベル「SAR Records」と契約。ウーマック・ブラザーズ名義のシングル「Somebody's Wrong」(1961年)はヒットしなかったが[2]、ヴァレンティノスと改名すると、1962年のシングル「ルッキン・フォー・ア・ラヴ」がヒット。1964年のシングル「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ」は、ローリング・ストーンズによるカヴァー・ヴァージョンが全英1位のヒットを記録した。また、サム・クックのライブでもギターを演奏している。

1964年12月にサム・クックが射殺されたが、ボビーは葬儀に際して、サムのスーツを身に着けてサムの未亡人と参列。その後二人は数カ月もしないうちに結婚した。これらの行動と早すぎる結婚から、ボビーの曲は一時ラジオでオンエアされなくなる事態となった。そのためボビーは、セッション・ギタリスト、作曲家としての活動を開始。アレサ・フランクリンのアルバムでギタリストとして参加したり、ウィルソン・ピケットへ楽曲「アイム・イン・ラブ」を提供するなどの活動をおこなった。1968年、ソロ名義では初となるスタジオ・アルバム『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』を発表。また、ボビーは「アンド・アイ・ラブ・ハー」「夢のカリフォルニア」「雨に願いを」[注 2]などのカバー曲を発表しているが、他の音楽家のカバーと異なり、原曲に並ぶかときには原曲をこえるカバー・バージョンとなっている。1970年にはガボール・ザボのアルバム『ハイ・コントラスト』に参加し、「ブリージン」を提供した[注 3]。同年、ジャニス・ジョプリンのアルバム『パール』でアコースティック・ギターを演奏(発表はジャニスの死後の1971年)。スライ&ザ・ファミリー・ストーンのアルバム『暴動』(1971年)でもギターを担当。

1972年のシングル「ウーマンズ・ガッタ・ハヴ・イット」は、『ビルボード』誌のR&Bチャートで1位を獲得。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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