ボノ
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この項目では、ミュージシャンについて説明しています。

アメリカの都市については「ボノ (アーカンソー州)」をご覧ください。

ボノが愛称のプロサッカー選手については「ヤシン・ブヌ」をご覧ください。

ボノ (Bono)
ボノ(2017年)
基本情報
出生名Paul David Hewson
別名Bono
生誕 (1960-05-10) 1960年5月10日(63歳)
出身地 アイルランドダブリン
ジャンルロック
職業ミュージシャン
担当楽器ボーカル
ギター
ハーモニカ
活動期間1976年 - 現在
共同作業者U2
公式サイト ⇒http://www.U2.com/
著名使用楽器
グレッチ・アイリッシュ・ファルコン

ボノ(Bono、本名:ポール・デイヴィッド・ヒューソン(Paul David Hewson)、1960年5月10日 - )は、アイルランドダブリン出身のミュージシャン。ロックバンドU2のボーカルであり、バンドのフロントマンとして知られる。大英帝国勲章ナイト・コマンダー受章者(KBE)。

U2の歌詞のほとんどはボノによって書かれたものであり、そのテーマは政治や宗教など社会的なものが多い。特に初期の作品では宗教に関連したものが多く、U2に宗教的なイメージ付けをするものとなった。しかしバンドが成熟するにつれ、彼自身やメンバーの個人的な体験について書かれた歌詞も増えている。

国際的な慈善活動家としても知られ、ノーベル平和賞の候補に3度選ばれている。
来歴
U2での活動1983年「ザ・フライ」に扮したボノ(1992年ZOO TVツアー)

アイルランドのダブリンで生まれ育ち、高校 (Mount Temple Comprehensive School) 時代にU2のメンバーや後に妻となるアリソン・スチュワート(アリ)と出会う。ドラマーであるラリー・マレン・ジュニアの呼びかけにより、U2の前身となるバンド(ラリー・マレン・バンド)の活動を開始する。最初はギター志望だったが、ギターを所有しておらず、ほかの候補者(ジ・エッジ)もいたためボーカルに回った。本人は女の子っぽい歌声なのでロック・ボーカリストには向かないと思ったが、1977年にラモーンズのコンサートを観にいったとき、ジョーイ・ラモーンを通して自分の声を見つけたという[1]

1979年にU2としてメジャーデビューした後は、荒削りなボーカルや激しいライブパフォーマンス、大胆な発言などで注目を集める。作詞面では、国内外の社会・政治問題を強く問題提起し、社会派バンドとしてのU2のイメージをリードした。「WAR TOUR」のステージでは非暴力主義と不偏を表明する「白い旗」を振るパフォーマンスを見せた。

1985年のライヴエイドには、1983年の初来日時に入手した詰襟学生服を着て登場。途中で観客席から引っ張り上げた女性と踊り始めたため、3曲演奏の予定が2曲で終わるというハプニングがあった。ボノが観客の女性を抱き寄せて歌うという演出は、U2のライブの定番になっている。

1990年代から、バンドと共に大きくイメージチェンジする。ライブではサングラスに黒装束の「ザ・フライ」、メフィストフェレスをパロディー化した「マクフィスト」などのキャラクターに変身し、トリックスターの如き奔放なパフォーマンスを見せた。歌唱法も声量豊かな直球派から、ファルセットを駆使する技巧派へ変わった。

2000年代には、かねてから関心のあったアフリカの発展途上国支援プロジェクトに積極的に取り組み、ミュージシャンと慈善活動家を兼ねる多忙な生活を続けている。

2013年公開の映画『マンデラ 自由への長い道』では親交のあったネルソン・マンデラのために「オーディナリー・ラヴ」を提供し、第71回ゴールデングローブ賞にて主題歌賞を受賞した。
その他の音楽活動スティングとデュエットするボノ(1986年)ポール・マッカートニーと共演するボノ(LIVE 8

U2以外の個人活動では、他のミュージシャンとの共演、カヴァー、楽曲提供、ライブへのゲスト参加などを行っている。尊敬するボブ・ディランのライブに参加した時には、「風に吹かれて」の歌詞を知らず即興で歌ったこともある(→「U2のボノの作品」)。

1984年、アダム・クレイトンとバンド・エイドのチャリティーシングル「Do They Know It's Christmas?」に参加。

1985年、クラナドと共演した「In A Lifetime」をシングルリリース。

1985年、「アパルトヘイトに反対するアーティストたち」による曲「サン・シティ」に参加。また、同曲が収録されたアルバム『サン・シティ』で「Silver and Gold」をキース・リチャーズロン・ウッドと共演。

1988年、ロイ・オービソンのアルバム『ミステリー・ガール』(発売は1989年)にジ・エッジと共作した「She's A Mystery To Me」を提供して、同曲のプロデュースとギター演奏でも参加。

1992年、映画『ハネムーン・イン・ヴェガス』のサントラで、エルヴィス・プレスリーの「Can't Help Falling in Love(好きにならずにいられない)」をカヴァー。

1993年、フランク・シナトラと「I've Got You Under My Skin(あなたはしっかり私のもの)」を共演(録音は別録り)。

1994年、映画『父の祈りを』のサントラで「In The Name Of Father」をギャヴィン・フライデーと共演。

1995年、クインシー・ジョーンズのアルバム『Q's Juke Joint』でレイ・チャールズスティーヴィー・ワンダーと共演。

1995年、ジ・エッジと共作した「GoldenEye」をティナ・ターナーに提供、映画『007 ゴールデンアイ』の主題歌となる。

1996年、カール・パーキンスのアルバム『Go Cat Go!』で「Give Me Back My Love」をウィリー・ネルソンジョニー・キャッシュトム・ペティと共演。

1996年、ドーナル・ラニーがプロデュースしたアルバム『Common Ground(魂の大地)』に、アダム・クレイトンと共に参加。U2の「Tomorrow」(『アイリッシュ・オクトーバー』収録曲)をアイルランド音楽アレンジしたセルフカヴァーを歌う。

1997年に自殺した友人マイケル・ハッチェンスとの共作「Slide Away」は、死後発売された『Michael Hutchence』に収録された。U2の『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』の収録曲「スタック・イン・ア・モーメント」はハッチェンスへの鎮魂歌である。

2001年、映画『ムーラン・ルージュ』のサントラで「Children Of The Revolution」(T・レックスの楽曲)をギャヴィン・フライデーとカヴァー。

2001年、チャリティ・プロジェクト「オールスター・トリビュート」を提唱し、「ホワッツ・ゴーイン・オン」(マーヴィン・ゲイのカヴァー)のレコーディングに参加。

2001年、ミック・ジャガーのアルバム『Goddess In The Doorway』で「Joy」を共演。

2003年、ネルソン・マンデラのチャリティーイベント「46664」にジ・エッジと参加し、ビヨンセデイヴ・スチュワートらと共演。


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