ボディーボード
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出典検索?: "ボディボード" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2016年6月)
オアフ島ノースショアでのボディボーダー

ボディボード (Bodyboarding) は、ウォータースポーツのひとつ。専用のボードを使い、が形成する斜面を滑走する。

ボディボードの略称をBB、ボディボードをする人をボディボーダーと称する。
概説

ボディボードは1971年ハワイ島モーレーブギー社創始者トム・モーレーにより考案された。1メートルほどの合成樹脂で作られた板に腹ばいになって波の上を滑走する。いろいろなテクニックがあるが、主なものにスピンエルロロがあり、またドロップニーという片膝立ちした姿勢で乗る乗り方がある。

考案された当初は「ブギーボード」(モーレーブギー社の商標)と呼ばれたが、ボディボードで呼称は統一された。

道具があれば手軽に安全に波乗りを楽しめることから、夏の海開きした海水浴場ではサーフボードの使用は禁止されていてもボディボードはOKとしているところも多い。海水浴の遊具の1つとして楽しむ人から、ウェットスーツを着て冬でも海に入る人まで、幅広い層に親しまれている。
普及
起源
サーフィンの起源には諸説あるが、その中で後のボディボードの発明につながるものとして、アライアとパイプオーという道具の存在がある。
アライア
アライア[1](alaia:ハワイ語)は、古代ポリネシア人が波乗りをする道具として使用した木製のボードである。そのボードは主にアカシアの木から作られ、形も大きさも様々で、長さは7?12フィート(約200?370cm)、重さは最大で100ポンド(50kg)、フィン(スケッグ)は無くエッジ(レール)でコントロールするもので、スタンディングの他、腹ばいやニースタンディングでも乗られていた。1778年にイギリスの探検家キャプテン・クックジェームズ・クック)が3度目の航海でヨーロッパ人として初めて正式にハワイに接触し、その際にハワイの村人がそのようなボードに乗っていたことを航海日誌に記録している。それによると長さ3?6フィート(約90?180cm)のボードで腹ばいやニースタンディングで波に乗っていたという。
パイプオー
その後アライアから進化して、より近代的なパイプオー[2](paipo:パイポと書いてパイプオーと発音する)というノーズに丸みを帯びた140cmほどの現在のボディボードに近い形状のボードが誕生した。これは腹ばいで乗ることを基本としたが、フィン(スケッグ)が付けられ木製またはグラスファイバー製のものであった。このパイプオーからさらに安価で安全に楽しめるものを考え出したのが現在のボディボードの発明者トム・モーレー(Tom Morey)(1935年8月15日?2021年10月14日)である。
ボディボードの発明
ボディボードの発祥の地はハワイで、1971年7月9日にトム・モーレー[3](トーマス・ヒュー・モーレー:Thomas Hugh Morey)によって発明された。トム・モーレーはボディボードの発明者であり、ボディボードの父と言われている。サーファーでもあり、シェイパーでもあり、ジャズドラマーのミュージシャンでもあり、サーフィン関連の数々の発明をしたり、1965年には世界初のサーフィンコンテストも開催している。トムは南カリフォルニア大学を卒業後はダグラス・エアクラフト社で働き、専門スキルを活かしていくつかのサーフィンのギアを開発した。その後仕事を辞めて自分で会社を立ち上げ、それまでのノウハウを生かして更に複数のギアを発明し、その中の1つがボディボードであった。初めはスケッグ付きの6フィート(約183p)でボトム材にエポキシ樹脂、デッキ材に柔らかいポリエチレンを使用したがうまくいかず、その後9フィート(約274cm)の発砲ポリエチレンフォームを2分割し、広告のチラシを下に敷いてアイロンを使ってフォームを成形するとうまくいくことがわかった。トムはそのボードに赤いマーカーペンで曲線を描いたところでいったん眠り、翌朝早起きして試作品が完成した。そのボードは長さ4フィート6インチ(137cm)、幅23インチ(58cm)、角ばったテール、緩やかに丸みを帯びたノーズ、シャープなレールで、重さはわずか3ポンド強(1361グラム)だった。トムはホンルズビーチ(ハワイ島西部コナ地区の海岸)に向かい、風の影響を受けた2フィートの波で試乗した。奇しくもそこはキャプテン・クックが初めてハワイに訪れた海岸から十数キロの場所だった。そして試乗を終えたトムはその時の感想をこのように述べた。「このボードを通して実に波を感じることができた。サーフボードでは波の微妙な感触まではわからないが、私の作品ではすべてを感じることができた。」そして「これはしなり、長持ちし、安く作れ、軽く、安全なものだ。神よ、これは本当にすごいことになるかもしれない。」と付け加えた[4]。彼はこのボードの名前をSNAKE(体のサイド(Side)、へそ(Navel)、腕(Arm)、ひざ(Knee)、ひじ(Elbow))としようとしたが、ジャズドラマーでジャズのテンポが好きだった彼にとってブギー(Boogie)という響きが良いことからこちらを採用し、ブギーボード(Boogie Board)を商標登録した。こうしてブギーボードが誕生した。トムが37歳の時であった。オリジナルのモーレーブギーボードは、長さ45インチ(114cm)、幅25インチ(63cm)、厚さ2.25インチ(5.7cm)、重さは3.75ポンド(1.7kg)であった。この腹ばいボードを年齢と同じ37ドルで販売し「Surfer Magazine」に広告を掲載した。その広告文句には「ブギーは進路にいる人を安全に乗り越え、最大級に水深の浅いカールの下をくぐり抜け、誰も夢にも思わなかったような波のポジションへワープしたりします」というユニークなフレーズを載せた。するとすぐに注文が届き、数か月後には週に数十枚のブギーボードを販売するようになった。初期のボードはトムがバックヤードでシェイプして接着しテープで止めて仕上げていたが、後に接着剤が自身の健康に影響を与えることから、接着剤無しのキットを25ドルで販売するようになった。そして1977年には80,000枚を販売し、カールスバッドメキシコで合計100人の従業員を雇用した。こうして世界中で一世を風靡する新しい波乗りスタイルが生み出された。
日本でもブーム
国内では1980年代前半に登場している[5]。ブームは1995年頃で、当初は男女を問わないスポーツであったが、サーフィンとは違い女性に受け入れ易かったため、のちに女子高校生から20代女性などを中心に人気があった。ブームの頃のボディボード人口は80万人、男女の比率は8:2ほどで女性が多い[6]。ただし、この傾向は日本特有のもので、ハワイオーストラリアの若いローカル(地元)の男性はボディボードを好む者も多く、サーフボードよりも浮力が小さくコントロールも難しいボディボードの上に片膝立ちに乗ってライディングするDropknee(ドロップニー)スタイルも男性の人気が高い。また、このブームには比較的湘南エリアにも近いワイルドブルーヨコハマが影響した(同施設では人工の波でボディボードを楽しめたが、2001年8月31日に閉鎖となった)。2007年の夏には、日本の女性プロボディボーダーが主演のドキュメンタリー映画『ADOR(アドア)』[7]が渋谷をはじめ大阪、神戸、福岡などで公開されている。しだいに人口は減りつつあり、サーフィン大会でボディボードクラスの人数が揃わず中止されるケースも出ている。世界的な大会も開かれており、小池葵、榎戸崇人、鈴木彩加、大原沙莉など世界に通用するプロボディボーダーもいる。特に近年の女子のボディボードレベルは世界的に見ても非常に高く、オリンピックの正式種目にボディボードが選ばれれば確実にメダルを獲れるだろうと言われている。
道具
ボード
長さ1メートル前後で厚さ5センチ程度の
ビート板を大きくしたような形状をしている。細部にわたっては様々な形状があり、スピン等の回転性に優れた形状、スピードの出しやすい直進性に優れた形状、軽くてドルフィンスルーも楽な非力な人向に使いやすい浮力の小さいもの、小波でも波のパワーを得られやすい浮力の大きいものなど、その目的によって選ぶ形状も様々である。これらのバランスの取れたボードは「オールラウンドボード」または「ノーマルボード」と呼ばれ、販売店では比較的初級レベルの人に勧められている。それに対し、ボード性能の一部を引き出すためにその機能を突出させると他で機能が低下する部分が必ず出てしまい、低下した部分は自分の技量でカバーしなければならない。このようなボードは「エキスパートボード」と呼ばれ、量産されるノーマルボードに対し、エキスパートボードはオーダーメイドでシェイパーが手作りすることが多い。


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