ボディービルダー
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ボディビルディング
Bodybuilding
1974年のボディビル大会に出場したときのアーノルド・シュワルツェネッガー
統括団体国際ボディビル連盟
通称BB
起源19世紀末のイングランド
特徴
カテゴリ屋内
競技場観客席
実施状況
競技地域世界各国
ワールドゲームズ1981年 - 2009年
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ボディビル(Bodybuilding, ボディビルディング)とは、筋肉組織の構築を制御ないし発達を目的とした漸進性抵抗運動(Progressive Resistance Exercise)[1]。肉体的強さではなく、あくまで外見が重要であり、重量挙げとは別物である[2]。これに従事する者たちは「ボディビルダー」(Bodybuilder)と呼ばれる。競技に参加するボディビルダーたちは、体躯の調和・均整美、筋骨の強壮さ、筋肉の大きさ、体調を競い、舞台に立つにあたって格付け審査員に向けて構えをきめる。ボディビルダーたちは、脱水とカーボ・ローディング(Carbo-Loading, 炭水化物の摂取を増やすことで、グリコーゲン〈Glycogen〉を体内に貯蓄する食事法)を組み合わせ、競技出場前の最終段階において不要な体脂肪を減らし、最大量の筋肉とその鮮明な輪郭および血管の分布の構築を完遂する。舞台上集中光線を浴びる彼らは明暗を強調する目的から、身体を日焼けさせ、体毛を剃る[3]。国際ボディビル連盟が主催する『ミスター・オリンピア』(Mr. Olympia)で優勝した者は、ボディビル界の頂点に立つ存在と見なされることが多い。1950年以来、全米ボディビル愛好協会(The National Amateur Body-Builders' Association)が主催する世界選手権では、アーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)を始めとする名の知れた受賞者がおり、これに勝ち残った者は専門職としての運動競技選手になることが多い。

ボディビルにおいては、薬物の服用は禁止である。また、ボディビルにおいては実演よりも外見が重要視される。筋肉の発達や性能を高めるよりも、見た目を重視する目的から、薬物に手を出す者もいる[4]。表向きは「薬物の服用は禁止」であるが、実際には、筋肉増強作用を持つアナボリック・ステロイド(Anabolic Steroid)を服用するボディビルダーは数多い[5]

ボディビルダーの独自性は比較ができないものであり、ボディビルは個性の構築を主体的に強化する可能性がある一方で、個性の葛藤、不快な経験、自我の危険性をもたらす可能性があることを示唆している[6]

ボディビルダーたちは、自分たちのやっていることを「運動競技」と考えているが、主流のスポーツ界はそのようには見做しておらず、ボディビルは正当性の危機に直面している[1]国際オリンピック委員会も同様の立場であり、ボディビルを「運動競技」とは見做していない。ボディビルダーたちによる薬物乱用の問題が基本的な焦点となっている[7]
歴史

古代エジプトやギリシアにおいては、大きな石を持ち上げる競争行為が行われていた[8]

西洋においては、1880年から1953年にかけて重量挙げが発展し、剛力自慢の者たちは一般大衆に向けて自身の力強さをこれみよがしに見せ付け、互いに競い合った。比重が置かれたのは参加者たちの体格ではなく、彼らの四肢と腹部は大抵は脂肪で太っていた[9]

インドタミル・ナードゥ州マドゥライでは、巨大な球形の石を持ち上げる競技が行われていた。古代において、これは結婚前の若い男性の勇気と力強さを試すために行われていた、と考えられている[10]
ユージン・サンドウユージン・サンドウ

19世紀末、ドイツ人ユージン・サンドウ(Eugen Sandow)がボディビルの普及を推進した。鍛え上げられた肉体を観衆に披露して楽しんでもらおうと考えたサンドウは、「筋肉展示公演会」と題した催し物を開いた。だが、集まった男たちは自身の肉体の誇示が目的であったり、格闘試合の実演として登場しただけであった。サンドウは、フローレンツ・ズィークフェルト(Florenz Ziegfeld)とともに肉体披露の見世物を主催した。構えをきめる一連の動作が広く受け入れられたサンドウは、自身の名前を商標にした製品を売り出し始め、ダンベル[8]、ばね、伸長帯といった運動器具を販売した。サンドウの肉体の写真が印刷された判も数千枚販売された。

1898年、サンドウは雑誌『Physical Culture』を創刊した[1]
ボディビル競技会

1901年9月14日、サンドウは、ロンドンにあるロイヤル・アルバート・ホール(The Royal Albert Hall)にて、「大競技会」と題したボディビル大会を開催した[11][8]。サンドウ、チャールズ・ラース(Charles Lawes)、アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle)が審査員を務めたこの競技会は大きな成功を収めた。優勝したのはノッティンガム出身のウィリアム・L・マーリイ(William L. Murray)で[8]、フレデリック・ポメロイ(Frederick Pomeroy)が彫刻したサンドウの黄金像が贈呈された。次点のD・クーパー(D. Cooper)には銀の像が、第三位のA・C・スマイツ(A.C. Smythe)には青銅の像が贈呈された。

審査の基準は厳格であり、サンドウは、筋肉や体格以外の要素も加点する趣旨を明言した。サンドウが要求したのは、筋肉だけでなく、左右対称の均整の取れた体型であった。サンドウの定めた審査の基準となったのは以下の要素であった[8]

総合的な発達

発達の均等および均一性

組織の状態や調子

総合的な健康状態

皮膚の状態

サンドウは、「賞は、大きな筋肉に対してではなく、均整の取れた発達を見せている者に授与される」と述べた[12]1950年に全米ボディビル愛好協会(The National Amateur Body-Builders' Association, NABBA)が主催した競技会で優勝したスティーヴ・リーヴス(Steve Reeves)に、A・C・スマイツが受け取った青銅の像と同じものが贈られた。1977年国際ボディビル連盟(The International Federation of BodyBuilders, IFBB)が開催した『ミスター・オリンピア』(Mr. Olympia)にて優勝したフランク・ゼイン(Frank Zane)に青銅の像の複製品が贈呈されると、それ以降はこの複製品が贈られるのが慣習となった。

1903年12月28日から1904年1月2日にかけて、ニューヨークにあるマディソン・スクエア・ガーデン(The Madison Square Garden)にて、大規模なボディビル競技会が開催された[1]。この競技会を宣伝したのはベルナール・マクファデン(Bernarr Macfadden)であった。マクファデンは、雑誌『Physical Development』の創刊者でもあった[1]。この大会で優勝したのはアル・トレロアー(Al Treloar)であった[13]。トレロアーは賞金として1000ドルを受け取ったが、これは当時としてはかなりの高額であった。この2週間後、トマス・エディスン(Thomas Edison)は、トレロアーが見せた一連の構えを映像に収めた。エディスンはまた、サンドウの構えも映像に収めている[11]。ベルナール・マクファデンとチャールズ・アトラス(Charles Atlas)はイングランドに移住し、ボディビルの普及を推進した[1]

1925年10月14日、サンドウはロンドンにて、脳出血を起こして死亡した[8]。58歳であった[14]
1930年以前のボディビルダー

1930年以前のボディビルダーには、ライオネル・ストロングフォート(Lionel Strongfort)[15]や、第一次世界大戦に従軍して片足を失ったアラン・P・ミード(Alan P. Mead)がいる。俳優のフランセス・X・ブッシュマン(Francis X. Bushman)は、無声映画に出演する前は彫刻の題材にもなっていた[16]
1950年代 ? 1960年代

1946年カナダ人の兄弟であるジョー・ウイダー(Joe Weider)とベン・ウイダー(Ben Weider)が、「国際ボディビル連盟」(The International Federation of Bodybuilders, IFBB)を設立した[1]1950年代から1960年代にかけて、力強さと体操の熱烈な推進者が現われるようになり、時を同じくして、ボディビル雑誌、筋力鍛錬の基本原則、筋肉肥大と体脂肪減少に向けての栄養摂取、タンパク質栄養補助食品、体格を競い合う大会の普及に伴い、ボディビルの人気も上がるようになった。「ゴールド・ジム」(Gold's Gym)のような「筋金入り」の筋力鍛錬施設が登場したのは1965年8月のことであった。

1965年9月18日、ウイダー兄弟は『ミスター・オリンピア』(Mr. Olympia)と題したボディビル大会を初めて主催した[1]。この大会で優勝を果たしたのはラリー・スコット(Larry Scott)であった。スコットは翌年に開催された大会にも出場し、優勝している[8]。1965年以降、『ミスター・オリンピア』は17の都市で開催されている[17]

1939年7月4日に「全米体操愛好連盟」(The Amateur Athletic Union)が初めて主催した『Mr. America』のような、ボディビル団体が開催する競技会は多数あるが、主流のボディビル団体は国際ボディビル連盟である[1]。「全米ボディビル愛好協会」(The National Amateur Body-Builders' Association, NABBA)が毎年主催するボディビル大会『The Universe Championships』(『世界選手権』)があるが、これは元々『Mr. Universe』(「ミスター・ユニヴァース」)という題名の選手権であった。アーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)もこの大会に何度か出場し、『ミスター・ユニヴァース』の称号を獲得している[8]

カリフォルニア州サンタ・モニカにあるマッスル・ビーチ(Muscle Beach)は、1934年以降、体操や重量挙げといった、身体を鍛える者たちの場所となっている。ジャック・ララーヌ(英語版)やスティーヴ・リーヴスもここで鍛錬に励んだ[18]
1970年代 ? 1990年代
アナボリック・ステロイドの服用1953年撮影。筋肉を誇示するように構えるエド・フューリイ(Ed Fury)。隣に立っているのはジャッキー・コーイ(Jackie Coey)。

1970年代になると、媒体を通じて、フランコ・コロンボ(Franco Columbu)、ハロルド・プール(Harold Poole)、デイヴ・ドレイパー(Dave Draper)、フランク・ゼイン(Frank Zane)、ラリー・スコット(Larry Scott)といった複数のボディビルダーの名前が知れ渡るようになった。しかし、筋肉増強作用を持つアナボリック・ステロイド(Anabolic Steroid)を服用するボディビルダーも現われるようになった。トム・プラッツ(Tom Platz)やポール・デメーヨ(Paul Demayo)のように、身体の一部だけが発達しているボディビルダーもいる。

アナボリック・ステロイドは、男性ホルモンの一種であるテストステロン(Testosterone)の合成誘導体(Synthetic Derivatives)であり[19]、筋肉の大きさや筋力の増幅に影響を及ぼす。1960年代、運動競技選手が薬物として服用した初のステロイドの一つであった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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