ボズレー・クラウザー
Bosley Crowther
生誕フランシス・ボズレー・クラウザー・ジュニア
(1905-07-13) 1905年7月13日
アメリカ合衆国
メリーランド州ルーザービル
フランシス・ボズレー・クラウザー・ジュニア(英語: Francis Bosley Crowther Jr. , 1905年7月13日 - 1981年3月7日)は、アメリカ合衆国のメリーランド州ルーザービル(英語版)出身のジャーナリスト、著作家。『ニューヨーク・タイムズ』専属の映画評論家を27年務めた。
人生(英語版)に生まれた[1]。ルーザービルの小学校、ノースカロライナ州ウィンストン・セーラムとワシントンD.C.の高校、バージニア州のウッドベリー・フォレスト・スクール(英語版)を経てプリンストン大学で学んだ[1]。
『ニューヨーク・タイムズ』のスタッフとして40年近く働いた。このうち、1940年から1967年までの期間は同紙の映画評論家として活動していた[1]。
クラウザーはフィレンツェ・マークスと結婚し、彼女との間に3人の息子をもうけた[1]。 1950年代にクラウザーは反共主義運動を主導したジョセフ・マッカーシーと対立した[1]。彼は映画の検閲に反対し、アメリカ映画の製作により大きな社会的責任を見出そうとした[1]。そのために『市民ケーン』、『怒りの葡萄』、『風と共に去りぬ』などの社会的な内容の映画に対しては高い評価を与えた[1]。 また、1950年・1960年代の外国語映画、特にロベルト・ロッセリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカ、イングマール・ベルイマン、フェデリコ・フェリーニの作品の熱心な擁護者でもあった[1]。 『ベン・ハー』や『クレオパトラ』のような叙事詩を擁護する一方で[1]、第二次世界大戦の映画『大脱走』は酷評した[2]。
映画批評