ボスニア・ヘルツェゴビナの国章
[Wikipedia|▼Menu]

ボスニア・ヘルツェゴビナの国章

詳細
使用者ボスニア・ヘルツェゴビナ
採用1998年5月20日

ボスニア・ヘルツェゴビナ国章(ボスニア・ヘルツェゴビナのこくしょう)とは1998年5月20日に制定されたボスニア・ヘルツェゴビナの徽章のこと。

現在軍の紋章に使われる旧国章から、ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗のデザインをそのまま盾にはめ込むだけのシンプルな紋章に代わっている。

ちなみに1992年から1998年まで使われた旧国章は中世のボスニアの王家コトロマニッチ家(中でもオスマン帝国に立ち向かったステファン・トゥルトゥコを意識している)に由来する、金枠青地銀(白)ベンド(斜め帯)に6つの金(黄)の百合(フルール・ド・リス)を描いたもの。しかし国家のシンボルと云うにはあまりにボスニア寄りという理由で、セルビア系住民、クロアチア系住民の反発に遭い、現在のものが制定された。現在の紋章も公務員のユニフォームなどに見られるものの、国内ではほとんど使われていない。1992年-1998年の国章
ユーゴ時代の国章

かつてボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国だった時は、産業を表す2本の煙突を、赤い布で結ばれた小麦の茎と広葉樹と針葉樹の枝で囲い込んだ上に赤い星が描かれる、社会主義国に典型的かつ特定の民族的シンボルを描いていないデザインであった。これは社会主義的なデザインとなっても民族的な紋章が描かれていた同じ構成国であるクロアチアやセルビアとは異なり、多民族が混在する地域的共和国とみなされていたが故のデザインであった。

近代ボスニア・ヘルツェゴビナの紋章

1945年から1992年までの国章(共産ユーゴ時代)

1992年-1998年の国章

ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の紋章(1996年から2007年まで)

関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、ボスニア・ヘルツェゴビナの国章に関連するカテゴリがあります。

国章の一覧

ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗










ヨーロッパ国章
西ヨーロッパ

オーストリア

オランダ

スイス

ドイツ

フランス

ベルギー

モナコ

リヒテンシュタイン

ルクセンブルク

東ヨーロッパ

ウクライナ

スロバキア

チェコ

ハンガリー

ブルガリア

ベラルーシ

ポーランド

モルドバ

ルーマニア

ロシア

南ヨーロッパ

アルバニア

アンドラ

イタリア

北マケドニア

ギリシャ

クロアチア

サンマリノ


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:17 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef