ボクシング
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「ボクシング」のその他の用法については「ボクシング (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ボクシング
プロボクシングの試合(EBU、2007年)
別名拳闘
競技形式正方形のリングを使用。ラウンド制。
発生国古代ギリシア
発生年不明
創始者不明
主要技術拳(ナックル)による打撃
オリンピック競技有り
公式サイト国際ボクシング協会 (AIBA)
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2016年リオデジャネイロオリンピックにおけるアマチュアボクシングの試合.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}プロジェクト ボクシング

ボクシング(: boxing)は、拳にグローブを着用しパンチのみを使い、相手の上半身前面と側面のみを攻撃対象とする格闘スポーツ。拳闘(けんとう)ともいう。ボクシングに似た競技はフランスサバット(ボックス・フランセーズ)のほか、タイムエタイおよびムエタイをベースにした日本キックボクシングシュートボクシング等があり、それらと区別するための俗称として国際式ボクシングと呼ばれることもある。オリンピックの歴史においても古くから正式種目であったことでも知られる[1]
歴史
古代ボクシングサントリーニ島で発見された少年がボクシングをしているフレスコ画詳細は「古代ギリシアのボクシング」を参照

紀元前4000年ごろの古代エジプト象形文字から軍隊で使われていたことが判読されており、クレタ島紀元前3000年ごろのエーゲ文明遺跡からも、ボクシングの図が書かれたが発見されている[2]

古代ギリシア語では握りしめた拳をPUGMEといい、それからPUXOS(箱)となった。古代オリンピックでは第23回大会から正式種目となり、オノマストスが月桂冠をうけた。この時代は全裸でオリーブ・オイルを塗り、拳には鋲を皮のバンデージのような物で包んだグローブのような物を着用、でも攻撃できたようだ。この当時はラウンドは無く、どちらかが戦闘不能、またはギブアップ(右手の人差し指を天に突き上げるとギブアップになったらしい)で勝負がつく。この競技は第38回大会まで続けられた。この競技からパンクラチオンが生まれた。

ローマ時代に入ってギリシア語から: PUGILATUS(拳での戦い)、: PUGILISM(「ピュージリズム」)の言葉が生まれている。奴隷同士が鉄の鋲を打ち込んだ武器のカエストゥスを拳に着けて、コロッセウムなどで見せ物として行われるようになり、観客を喜ばせるためにどちらかが死ぬまで戦わせた。時には床に描かれた円の中で戦わせることもあったが、これが現在のリングの語源となっている。しかし西暦393年に残忍すぎたため禁止となり、476年西ローマ帝国が滅びると共に姿を消した。

ローマで再びボクシングが盛んになるのは17世紀後半になってからである。
中世ボクシング

正式な名称ではないが、ここでは仮に「中世ボクシング」と呼ぶ。

イタリアイギリスオランダなどヨーロッパを中心に、護身として、レクリエーションとして細々と行われていたようだが、による護身が一般的であったため定着しなかった。13世紀ごろのイタリアまたはイギリスの神父が「ボクシング」と名付け、近所の若者に教えたことが「ボクシング」の名称の始まりとする説もある。
近代ボクシング

刀剣の携帯が一般的でなくなりだした16世紀前半ごろから、賞金をかけたベアナックル・ボクシングの形で徐々にイギリスで浮上の兆しを見せ始める。

現在のボクシングの始祖といわれるのは、1695年にイギリスのオックスフォードシア州テーム村に生まれたジェームズ・フィグ (James Figg) である。彼は、レスリングフェンシングや棍棒術を得意としており、1718年にロンドンで「ボクシング・アカデミー」を設立してボクシングを教え始めた。彼が行った当時の「ボクシング」とはグローブを嵌めないベアナックル(素手)で行う一方で、拳打だけでなく蹴り投げ技締め技、噛み付き、目つぶしも許容された総合格闘術の様相を呈し、さらにはフェンシングや棍棒術といった武器術も含まれたものだった。フィグ自身も教える傍ら自ら「プライズ・ファイター」(つかまれないように頭髪を剃っていた)として腕自慢達を倒して賞金を稼ぎ、護身術としても優れていると認められたボクシングとともに名声を得てイギリス初のチャンピオンとなった。1730年に36歳で引退し、1734年に39歳で死去した。

フィグの後継者であったジャック・ブロートン(英語版) (Jack Broughton) が、自ら保持するタイトルの防衛戦の時、相手を殺してしまったために、「ボクシングを普及させるのはこのような危険は廃さねばならない」と考え、1743年に近代ボクシング初となる7章のルールブック「ブロートン・コード」(Broughton's Rule) を発表した。その内容はベルト以下への打撃の禁止・腰より下の抱込みの禁止・倒れた相手への攻撃禁止、ダウン後30秒以内に立つことができなければ負け、リング(直径25フィートの円形、硬い土の上)などである。練習とエキシビション試合の怪我防止用にマフラーの名のパッド入りグローブを開発した。

しかし、実際の試合にはグローブを用いることはなく相変わらず素手に近い形で行われ、1754年には死者が多いためイギリスでボクシングが禁止された。このため、ボクシングの試合はフランスやベルギーなどで行われたが、貴族や富裕層の支持は根強く1790年にはイギリスでボクシングが再開され、1811年のイギリス人チャンピオン、トム・クリブ対アメリカ合衆国トム・モリノーの再戦には2万5千人もの観衆が訪れるほどとなった。
ロンドン・プライズリング・ルールズの制定

1814年に元チャンピオンのジョン・ジャクソンが英国ピュジリスト保護協会を設立し、1838年に29条からなる「ロンドン・プライズリング・ルールズ」を発表した。その内容は、ベアナックルで行い、蹴り技の禁止・頭突きの禁止・目玉えぐりの禁止、ダウン者に30秒の休憩に加え所定の位置に戻るまでに8秒間の猶予を与えるなどであった。

このころのボクシングはダウンごとに1ラウンドとし50ラウンドにも及ぶ場合があり、序盤は拳や手首を痛めないように用心しながら、徐々に打ち合った。

1856年、フランスで八百長疑惑によりボクシングなどの興行がパリで全面禁止された。
クインズベリー・ルールの制定

1867年にロンドン・アマチュア・アスレチック・クラブのジョン・グラハム・チャンバースはルール保証人の第9代クインズベリー侯爵ジョン・ショルト・ダグラスの名を冠した、12条からなる「クインズベリー・ルール」(Marquess of Queensberry Rule) を発表した。これにより、投げ技が禁止されたほか、3分1ラウンドとしラウンド間に1分間の休憩をとるラウンド制、グローブの着用、ダウンした者が10秒以内に立ち上がれない場合はKO負けとすることなどが定められ、現在に通じるボクシングルールが確立した。定着は遅れ以前の「ロンドン・プライズリング・ルールズ」についても1889年7月にジョン・ローレンス・サリバンがジェイク・ロドリゲスと行った防衛戦まで続いた。

クインズベリー・ルールにより行われた最初の公認世界ヘビー級タイトルマッチは、1892年9月7日、ジョン・ローレンス・サリバン(ジョン・L・サリバン)対ジェームス・J・コーベット戦である。


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