ボカ・ジュニアーズ
[Wikipedia|▼Menu]

ボカ・ジュニアーズ

原語表記Club Atletico Boca Juniors
呼称CABJ
愛称Los Xeneizes (ジェノヴァ人),
Boquita (ボキータ),
Bosteros (糞の回収業者)
クラブカラー青・黄
創設年1905年
所属リーグアルゼンチンリーグ
所属ディビジョンプリメーラ・ディビシオン
ホームタウンブエノスアイレス
ラ・ボカ地区
ホームスタジアムラ・ボンボネーラ
収容人数54,000
代表者 フアン・ロマン・リケルメ
監督 ディエゴ・マルティネス
公式サイト公式サイト

ホームカラーアウェイカラーサードカラー

テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ボカ・ジュニアーズ(Club Atletico Boca Juniors (スペイン語発音: [kluβ a?tletiko ?βoka ??unjo?s]))は、アルゼンチンブエノスアイレスラ・ボカ地区を本拠地とするスポーツクラブである。1931年からアルゼンチン・プリメーラ・ディビシオンに所属するプロサッカーチームが最も知られている。その他にバスケットボール、フットサル、武道(柔道・テコンドー・空手)、レスリング、バレーボール、体操(器械体操・新体操・競技エアロビクス)、水泳、重量挙げの競技チームを所有している。
概要

プロサッカーチームはアルゼンチンでもっとも成功を収めたサッカークラブのひとつであり、主要大会で48のタイトル(国内タイトル30、国際タイトル18)を獲得している。国際タイトル数はACミラン(イタリア)と並んで世界最多であるが[1]南米サッカー連盟 (CONMEBOL) 設立前のアマチュア時代にはさらに2個(1919年のタイ・カップ[2]と1920年のコパ・デ・オノール・クセニエール[3])の国際タイトルを獲得している。18個の内訳はコパ・リベルタドーレスで6個[4]レコパ・スダメリカーナで4個、インターコンチネンタルカップで3個[5]コパ・スダメリカーナで2個、コパ・デ・オロで1個、スーペルコパ・スダメリカーナで1個、スーペルコパ・マステルスで1個である。また、南米サッカー連盟主催大会の3冠を達成したことのある8クラブ(ボカの他にはクルブ・オリンピアサンパウロFCCAインデペンディエンテCAベレス・サルスフィエルドクルゼイロECSCインテルナシオナルLDUキト)のひとつである。国際サッカー歴史統計連盟 (IFFHS) によるクラブ世界ランキングでは6度1位に輝いており、そのほとんどをカルロス・ビアンチ監督下で記録した[6]。IFFHS は21世紀最初の10年間の南米最優秀クラブにボカを選出している[7]

同じブエノスアイレスを本拠地とするCAリーベル・プレートとは激しいライバル関係にある。アルゼンチン国内で最も人気のある両者の対戦はスーペルクラシコと呼ばれ、世界で最も熱いダービーマッチのひとつである。ホームスタジアムのエスタディオ・アルベルト・J・アルマンドはラ・ボンボネーラという通称で知られている。

トップチームとリザーブチームが年齢制限のないプロ契約であり、アマチュア契約のサードチームも存在する。20歳から14歳までの選手は6つに分けられた年齢別のカテゴリーに所属し、さらに13歳から6歳までの選手は7つのカテゴリーに分けられたクルブ・パルケ(正式名:クルブ・ソシアル・イ・デポルティボ・パルケ)という下部組織に所属している。
歴史
創設期、アマチュア・リーグ時代1906年撮影。ボカ・ジュニアーズの最古の集合写真

1905年4月3日、ラ・ボカ地区に住むイタリア・ジェノヴァ出身移民の5人の若者たちがフットボール・クラブを作ることの話し合いのために、後にボカの初代会長となるエステバン・バグリエットの家に集まった。数時間、5人で会議をしているとバグリエットの父親がこの5人を家から追い出した。追い出された5人は仕方なくソリス広場に行って、なおもこの企画の話し合いを続けた[8]。そして名前を「ボカの若者たち」という意味のボカ・ジュニアーズとすることにした。今日ではこの1905年4月3日のソリス広場がボカ・ジュニアーズが誕生した日付と場所となっている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:178 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef