ボイジャー1号
Voyager 1
ボイジャー1号
所属アメリカ航空宇宙局
公式ページ ⇒Voyager - The Interstellar Mission
国際標識番号1977-084A
ボイジャー1号(Voyager 1)は、1977年に打ち上げられた、NASAの無人宇宙探査機である。
概要ボイジャー1号の構造図
ボイジャー1号は1977年9月5日に打ち上げられ、2024年現在も運用されている。同機は地球から最も遠い距離に到達し、その距離を伸ばし続けている人工物である。
ボイジャー1号の最初の目標は木星と土星及びそれらに付随する衛星と環であった。2004年12月、太陽系外に向かって飛行中、太陽から約140億km(約95AU)の距離で、太陽風の速度がそれまでの時速112万kmから16万km以下に極端に落ちた。また太陽系外の星間物質(ガス)が検知されたことから、末端衝撃波面を通過して太陽圏と星間空間の間の衝撃波領域であるヘリオシースに入ったことが判明し、研究者が星間物質の状態を直接観測したデータを初めて得ることができた。2012年6月、NASAによって、ボイジャー1号が太陽系の境界付近に到達したことが公表された[1]。8月25日頃には太陽圏を脱出し、星間空間の航行に入っていることが発表された[2]。
2013年9月6日時点で、太陽から約187.52億kmの距離を秒速1万7037m(時速6万1333km)で飛行中[3]。この時点の距離では、探査機からの信号がジェット推進研究所の管制センターに届くまでには光速で片道17時間21分56秒[3]かかる。ボイジャー1号は太陽に対して双曲線軌道に乗り、太陽の脱出速度に達している[注 1]。ボイジャー1号はパイオニア10号や11号(共に運用終了)、姉妹機であるボイジャー2号とともに星間探査機へと役割を変えている。
2機のボイジャー探査機ではそれぞれ3個の原子力電池が電力を供給している。この発電装置は当初想定されていた寿命を大幅に超えて2022年現在も稼動している。1977年当時470Wを供給していた原子力電池の電力供給能力は、2008年の時点で285Wに落ちている。節電のため一部の観測装置の電源を順次切ってゆくことで、2025年頃までは地球との通信を維持するのに十分な電力を供給できると期待されている[4]。
以下の順番で順次観測装置の電源を切っている[4]。
2007年 - プラズマサブシステム (PLS) とそのヒーター
2008年 - Planetary Radio Astronomy (PRA) 装置
2010年 - スキャンプラットフォームと紫外線観測装置
2015年 - データテープレコーダー
2016年 - ジャイロスコープ
2017年11月下旬には軌道制御用の噴射エンジン4基を37年ぶりに作動させることに成功している[5]。
ミッション計画と打上げボイジャー1号の打ち上げ(タイタンIIIEセントール)
ボイジャー1号は元々はマリナー計画のマリナー11号として計画された。この探査機は当初から、計画当時の新技術だった重力アシスト(スイングバイ)を利用するものとして設計された。幸運にも一連の惑星間探査機の開発時期が、惑星の配置がほぼ同じ方向に集中する時期と重なったため、惑星グランドツアーと呼ばれる外部惑星の連続探査が構想されることとなった。このグランドツアーは、重力アシストによる飛行コースを連続してつなげることによって、軌道修正に必要な最低限の燃料だけで単独の探査機が太陽系の巨大ガス惑星4個(木星、土星、天王星、海王星)に加え、当時の構想では冥王星をも訪れることができる、というものであった。同型機のボイジャー1号及び2号はこの構想を念頭に置いて設計され、打上げ日もグランドツアーが可能な時期に設定された。
ボイジャー1号は1977年9月5日、NASAにより、フロリダ州のケープカナベラル空軍基地のLC41発射台からタイタンIIIEセントールロケットで打ち上げられた。この打上げにわずかに先行し、姉妹機のボイジャー2号も打ち上げられていた。ボイジャー1号は2号より後に打ち上げられたが、2号よりも飛行時間の短い軌道に乗せられたために先に木星と土星に到達した。この高速な軌道は誘導次第で冥王星へも到達できる軌道だったと言われている[6]が、後述のように最終的にはボイジャーによる冥王星探査は行われなかった。
打上げ当初、タイタンIIIEロケットの第2段が約1秒分の燃料を残して予定よりも早く燃焼終了してしまった。このため地上クルーはボイジャー1号が木星に到達できないのではないかと心配したが、上段のセントールステージが十分な燃料を持っていたために加速の不足分を補うことができた。
ボイジャー探査機の搭載装置の詳細についてはボイジャー計画を参照のこと。 ボイジャー1号は1979年1月に木星の写真撮影を開始した。木星への最接近は3月5日で、木星中心から34万9000kmの距離まで近づいた。接近中には解像度の良い観測データが得られるため、木星の衛星や環、木星系の磁場や放射線環境などの観測の大部分は最接近の前後48時間内に行われた。木星の撮影は4月に終了した。 2機のボイジャー探査機は木星とその衛星について数多くの重要な発見をもたらした。中でも最も注目すべき発見は、過去に地上からの観測やパイオニア10号、11号で観測されていなかったイオの火山活動の存在を明らかにしたことである。 ボイジャー1号の木星での重力アシストは成功し、探査機は土星へ向かった。ボイジャー1号の土星フライバイは1980年11月に行われ、11月12日には土星表面から124,000km以内にまで接近した。探査機は土星の環の複雑な構造を明らかにし、土星とタイタンの大気の調査を行った。以前の発見でタイタンには濃い大気が存在することが分かっており、探査の重要性が増していた一方で、当初は火星弱の大きさと考えられていた冥王星がボイジャー打ち上げ後の1978年に衛星カロンが発見されたことによって見かけよりもかなり小規模な天体であることが判明していたという背景もあった。結果的にジェット推進研究所のボイジャー制御チームは長期運用のリスクを背負ってまで冥王星に向かうような延長ミッションは行わず、ボイジャー1号のグランドツアーを終えてタイタンに接近させることにした。どちらにせよ冥王星は黄道面から傾いた公転軌道にあることから黄道面は脱出させる必要はあったのだが、タイタンへの接近軌道に乗ることでボイジャー1号はさらに重力アシストを受け、冥王星には接近しない軌道に乗った。これをもってボイジャー1号の惑星科学ミッションは終了し、星間ミッションに専念する形となった。
木星
ボイジャー1号が撮影した大赤斑。
ボイジャー1号が撮影したイオ。
ボイジャー1号が撮影した木星の大気。
ボイジャー1号が撮影したカリストのクレーター。
土星ボイジャー1号が撮影した土星。土星最接近の4日後に530万kmの距離から撮影された。
星間ミッション1990年2月14日に撮影された「太陽系家族写真」