ホーム・ガード
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このページ名「ホーム・ガード」は暫定的なものです。
代案としてはホーム・ガード (連合王国)、ホーム・ガード (イギリス)があります。
議論は
ノートを参照してください。(2020年5月)
ホーム・ガードの隊員。正規軍と同様のブロディヘルメットを着用している

ホーム・ガード(英語: Home Guard)とは、第二次世界大戦中のイギリスで編成された民兵組織である。ナチス・ドイツによる本土侵攻に備えて、17歳から65歳までの男性義勇兵により組織され、総兵力は150万人と公称した。編成当初は地域防衛義勇隊(Local Defence Volunteers, LDV)と呼ばれた。ナチス・ドイツ国民突撃隊日本国民義勇隊に相当する。日本語では郷土防衛隊や国防市民軍兵などと訳すことがある。目次

1 沿革

2 組織

3 制服および個人装備

4 武装

5 関連組織

6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

沿革 LDVの結成式典(1940年) 自宅でトンプソン・サブマシンガンを磨くホーム・ガード隊員(1940年)

第二次世界大戦開戦まで、イギリス政府はこうした民兵組織の設置を想定していなかった。しかし西部戦線での戦況悪化に伴い、イギリス各地で武装した自警団の編成が行われるようになった。1940年5月にはこうした民間の動きに同調する形で政府主導の民兵組織たる「地域防衛義勇隊」(Local Defence Volunteers, LDV)の設置が決定したのである[1]

1940年5月14日の夜、アンソニー・イーデン陸相が次のようなラジオ演説を行い、新たな民間防衛組織の設置を宣言すると共に志願者の募集を行った。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}

我々は、侵攻に対する排除をさらに確実にするため、大英帝国に暮らす英国臣民(British subjects)たる男性のうち、17歳から65歳の者多数の志願を求めている。今ここに創設される新たな部隊は地域防衛義勇隊(Local Defence Volunteers)と呼ばれる。この名称は3語で、そのまま文字どおり職務を説明している。諸君には給与はないが、制服と武器は支給される。志願者は地元警察署にて登録を行うように。今後、諸君が必要となった時、改めてそれを伝える……
We want large numbers of such men in Great Britain who are British subjects, between the ages of seventeen and sixty-five, to come forward now and offer their services in order to make assurance [that an invasion would be repelled] doubly sure. The name of the new force which is now to be raised will be the Local Defence Volunteers. This name describes its duties in three words. You will not be paid, but you will receive uniforms and will be armed. In order to volunteer, what you have to do is give your name at your local police station, and then, when we want you, we will let you know...[2]

政府は15万人程度の志願者を見込んでいたが、放送から24時間以内に早くも25万人が登録手続きを行った。さらに5月末までには30万?40万人が登録を行い、6月末までの登録者数は150万人程度に達した。兵力は1943年3月の180万人がピークで、以後解散まで100万人を下回ることはなかった[2]。入隊資格は「17歳から65歳までの男性のうち、ライフルを撃つことが可能で、自由に動けるもの」とされていた。ただし、この入隊資格について厳格な審査が行われたわけではない[3]。隊員として集められたのは通常兵役の対象外の男性、すなわち若すぎるか、歳を取り過ぎているか、兵役猶予職(Reserved occupation)にある者ばかりだった[2]

1940年7月、ウィンストン・チャーチル首相の命令により組織名がホーム・ガードへと改められた。チャーチルは7月14日のラジオ放送で、ホーム・ガードについて次のように語っている。

これらの将兵の大部分は、先の大戦の経験者であり、敵がどこに現れようとも攻撃し、白兵戦を挑むことを心から切望している。侵略者が英国へやってきても、悲しくもかつて他国で見たような、侵略者の前に人々が大人しく跪く姿は見られない。我々は全ての村、全ての町、全ての都市を防衛する。
These officers and men, a large proportion of whom have been through the last war, have the strongest desire to attack and come to close quarters with the enemy wherever he may appear. Should the invader come to Britain, there will be no placid lying down of the people in submission before him, as we have seen, alas, in other countries. We shall defend every village, every town, and every city.[3]

その後、政府の援助の下で武器の配布や訓練が進められた。初期の訓練では国際旅団の一員としてスペイン内戦に従軍した経験のある者が自主的に指導を行っていたが、9月からは陸軍の指導による正式な訓練が始まった。

ホーム・ガードに期待された主な役割は、ドイツによる英本土侵攻が現実のものとなった時、正規軍が展開し戦線を構築するまでの時間を稼ぐことだった[4]。こうした役割のほか、後には不発弾処理、高射砲および沿岸砲の操砲にも従事するようになり、終戦までに1,206人のホーム・ガード隊員が戦死した[3]


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