ホームドラマ
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この項目では、ドラマの一分野について説明しています。

2004年のTBS系のドラマについては「ホームドラマ!」をご覧ください。

フランソワ・オゾン監督の映画については「ホームドラマ (映画)」をご覧ください。

ホームドラマ(和製英語:home drama)とは、家族や家庭内の出来事をテーマとしたドラマのこと[1]喜劇に対してはホームコメディー(和製英語:home comedy)とも呼ぶ[2]。日本のテレビドラマにおいて中核的で、最も大衆に好まれるジャンルの一つである[3]和製英語であり、同様のジャンルは英語圏ではシチュエーション・コメディに含まれる[4]
概要

一般的には、家族でも見られる、穏健な(当たり障りのない)内容の作品が多い。派手なアクション、犯罪など非日常的要素はほとんどなく、固定されたレギュラー登場人物たちによる和気藹々としたやり取りが大きな特徴である。実写のドラマ以外にアニメでもホームドラマ的要素の強いヒット作は多く、中でも『サザエさん』『ちびまる子ちゃん』などは長寿放送を続けている。また、刑事ドラマなど他ジャンルにも大きな影響を及ぼしている。

「ホームドラマ」という言葉の語源ははっきりせず、映画界では「第二次世界大戦前から広く使われていた[1]」とする記述がある反面、佐藤忠男『日本映画思想史』(三一書房1970年[要ページ番号])では、「ホームドラマという和製英語が生まれた最初の映画」として、1951年公開の映画『雪割草』[注釈 1]田坂具隆監督)を挙げている。同書では大映映画部が本作公開時の宣伝で「ホームドラマ」という言葉を初めて使ったとしている。また、1946年放送のラジオドラマ『井田家の一とき』を「初めてのホームドラマ」とする資料がある[5]
歴史
成立の前提

ホームドラマ成立の前提としては、戦前の佐々木邦獅子文六家庭小説小津安二郎作品などの松竹大船映画、戦後のアメリカ映画、ラジオドラマの影響が考えられる。また可搬性に欠ける撮影機材の問題があり、家庭の居間・茶の間などに固定して撮影する「条件劇」が適していたこと、また、人々が第二次世界大戦後の新しい家族像を求めていたことなどが挙げられる。[6]
ホームドラマ草創期

1940年(昭和15年)、日本最初のテレビドラマである『夕餉前』がNHK実験放送として生放送される。脚本は伊馬鵜平で、登場人物は母親とその息子と娘の三人のみで、母子家庭の夕食前のちょっとした出来事を描いた12分ほどのホームドラマであった。実験放送は1940年に開催が予定されていた東京オリンピックのテレビ中継に備えたものであったが、1941年に太平洋戦争が始まったことにより中断されることとなった。1952年(昭和27年)、実験放送が再開され、戦後最初のテレビドラマとして『新婚アルバム』(山本嘉次郎脚本、山口淳演出)が放送される[7]

1953年(昭和28年)、テレビの本放送が開始される。開局時の放送時間は昼12時から午後1時半、午後6時半から午後9時までの計4時間で、まだテレビドラマ専門の脚本家はおらず、ラジオドラマの作家や劇作家が執筆した。連続ホームドラマとしては『わが家の日曜日記』(日本テレビ、山下与志一脚本、緒方勉演出)、『幸福への起伏』(NHK、今日出海脚本、永山弘演出)などが放送された[8]

1954年(昭和29年)、まだテレビ受像機は一般家庭には普及しておらず、街頭テレビなどで見るプロレスや野球、ボクシングなどの中継が人気番組であった。連続ホームドラマとしては『父の心配』(NHK、真船豊脚本、梅本重信演出)などがあった[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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