ホーナス・ワグナー
Honus Wagnerホーナス・ワグナー (1904年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ペンシルベニア州
生年月日1874年2月24日
没年月日 (1955-12-06) 1955年12月6日(81歳没)
身長
体重5' 11" =約180.3 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション遊撃手
初出場1897年7月19日
最終出場1917年9月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
ルイビル・カーネルズ (1897 - 1899)
ピッツバーグ・パイレーツ (1900 - 1917)
コーチ歴
ピッツバーグ・パイレーツ (1933 - 1951)
アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年1936年
得票率95.13%
選出方法BBWAA選出
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“ホーナス”ヨハネス・ピーター・ワグナー (Johannes[1] Peter "Honus" Wagner、1874年2月24日 - 1955年12月6日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州出身のプロ野球選手(遊撃手)。
「フライング・ダッチマン」の愛称を持ち、史上最高の遊撃手との声も高い[2][3][4]。この愛称は、ワグナーがペンシルベニア・ダッチ(ペンシルベニア州のドイツ系移民)の家系出身であることと、同姓の作曲家リヒャルト・ワーグナーのオペラ「さまよえるオランダ人」の英語訳題名に由来している[5]。 1874年、ドイツからアメリカへ移住してきた父ピーターと母キャサリンの元に生まれる。9人兄弟だったワグナーは炭坑夫だった父や兄達の仕事を手伝うために、12歳で退学したものの、仕事の休み時間に、空き地で兄弟たちと野球をして遊びながら技術を磨いていった。3歳年上の兄、バッツ・ワグナー 2年間のマイナーリーグを経て、1897年にルイビル・カーネルズよりメジャーリーグデビュー。2年目の1898年からレギュラーを獲得し、10本塁打105打点を記録。3年目には打率リーグ10位となる.341、リーグ4位の118打点でカーネルズの中心選手になるも、チームは低迷。翌年からのナショナルリーグチーム削減に備えたオーナーバーニー・ドレイファスはピッツバーグ・パイレーツを買収し、ワグナーや後に殿堂入り投手となるルーブ・ワッデル、選手兼任監督フレッド・クラークなどカーネルズの主力をパイレーツに移籍させ、カーネルズは消滅した。 パイレーツ1年目となる1900年に才能が開花し、自身初タイトルとなる首位打者をはじめ、最高長打率・最多二塁打・最多三塁打を獲得。
経歴
プロ入り前
プロ入りとカーネルズ時代
パイレーツ時代