ホンダ・TL
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出典検索?: "ホンダ・TL" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2017年7月)

TL(ティーエル)は、本田技研工業並びにRSC・HRCが製造販売するトライアルオートバイのシリーズ商標である。

本項では、後継車種であるTLRとTLM、および、競技用モデルであるRS-TとRTLについても解説する。
モデル一覧

トライアル用モデルは車重が性能に直結するためすべて軽量な単気筒エンジンを搭載する。
バイアルス

当シリーズのペットネームである「バイアルス(ラテン文字表記:Bials)」は、まだ「トライアルス」(現在の日本語では単数形で『トライアル』と呼ぶが、発売当時は複数形で呼んでいた)という競技が一般的でなかった当時に「オートバイ」の意味の「バイク」と「トライアルス」を掛け合わせて造った語である。語構成は[ 造語固有名詞): Bials < 造語: bi- + -ials < en: bike(バイク)+ trials(trialの複数形)][1]で、かなり強引な造り。ロゴタイプは、オットー・ヴァイセルト作のもの[注 1]に代表される、アール・ヌーヴォーを象徴する書体であるアルノルト・ベックリン(英語版)をベースにデザインされている。
TL125
バイアルスTL125

1973年(昭和48年)1月30日に発売された[1]国産初のトライアル用市販車である。当時の販売価格は152,000円(全国標準現金価格)[1]。輸出分を含む生産数は月産2,500台[1]

「トライアルの神様」と呼ばれたイギリス人(北アイルランド人)サミー・ミラー(英語版) (1933- ) が開発に携わった。搭載された空冷4ストロークSOHCエンジンはCBSLの125tモデルと基本設計が共通で、特性を入門用マシンとして初心者でも扱いやすくチューニングされた。その結果、日本国内で一気にトライアル熱が高まり、1979年(昭和54年)まで販売された。

エンジンの内径/行程は、ヘッドカバー一体の初期型が 56.0/49.5 (mm) で排気量122cc、別体となる後期型が 56.5/49.5 (mm) で排気量124ccとなる。
TL250

1973年( 昭和48年)12月にヤマハイギリスの天才ライダーで「トライアルの魔術師」の二つ名を持つミック・アンドリュース(英語版) (1944- ) の協力を得て市販車TY250Jを発売したが、対抗するため125ccより高い戦闘力を持つモデルとして1975年(昭和50年)に発売された。2ストロークエンジンを搭載するTYよりも車重的に不利にもかかわらず内径x行程:74.0/57.8 (mm) の4ストロークエンジンは扱いやすく高い評価を得た。

なお、国内4大メーカーの他2社におけるトライアル車の開発については、スズキはイギリスのビーミッシュと共同でRL250を開発したが他排気量への展開は見られず、カワサキはワークスレーサーのKTとその技術による市販車(競技専用車のみ)を発表している。
TL50
バイアルスTL50

1976年(昭和51年)に発売。CB50系のエンジンを搭載し最高出力は4,2ps。タイヤは18・17インチのため競技用ではないが、クラス内でも軽量の車体はTY50とともに入門用として評価された。
TL200R

バイアルスTL125のエンジンをベースに内径/行程を64.0/61.5 (mm) へ拡大したコンペマシン。
TL200RII

TL200Rからのフルモデルチェンジ車。エンジンは基本設計をXL125Sと共用しておりオイルラインを外側に移動したため内径/行程を66.0/57.8 (mm) としたほか、アンダーガード素材を旧型のFRPからアルミニウム製へ、マニュアルトランスミッションを5速から6速へ、点火装置をポイントからCDIへするなどの変更点がある。
イーハトーブ
TL125S
イーハトーブTL125S

1977年(昭和52年)から岩手県イーハトーブ・トライアル (IHATOVE TRIAL) が開催されたものの、バイアルスTL125は1979年(昭和54年)をもって生産を終了してしまった。しかし、それに替わって登場したのがこの車種であり、折からの競技熱の高まりを応えるかたちで1981年(昭和56年)から生産され始めたモデルである。ペットネームは競技名に由来する「イーハトーブ(ラテン文字表記:Ihatovo)」。ロゴタイプ書体ゴシック体をベースにデザインされている。

なお、競技名のほうにみられる "Ihatove" は、岩手県が誇る童話作家宮沢賢治が特定されない外国語風の地名(都市名)としてロシア語風で創造したといわれている "Ihatov(イーハトーヴ、イーハトーブ)" を英語風に変えた語形であり、これに対して車種名 "Ihatovo" のほうは、本家本元の賢治が後になって好んで用いるようになったエスペラント語形(※名詞は必ず -o で終わる) "Ihatovo(イーハトーヴォ、イーハトーボ)" を、読みは元のロシア語風のままで綴りだけエスペラント風に換えるという、変則形でもって採用したものである。

バイアルスTL125と極めてよく似ているが、クランクケースは強化されたXL125Sのものに換わり、点火はCDIに変更、サスペンションもフロントがセミエアサスでリヤに倒立サスを採用するなど、熟成が進んでおり、共通部品は意外に少ない。エンジンは4サイクルOHC単気筒で、最高出力は8,5psとなる。

またこの頃、バイクブームによって需要が拡がりを見せるなかでトレッキングバイクというカテゴリーが生まれ、デュアルパーパスほど激しい性能を求めないオフロードバイクが求められた結果、トライアルに使用しないユーザーも増えている。
RS- T

TLシリーズの生産中止後もホンダのトライアルへの挑戦は続けられ、ワークスレーサーのRS-Tが世界大会への参加を続けた。外国車やヤマハが採用している2ストロークエンジンと互角のパワー・トルクを得るため他社より大きい排気量のモデルも製造された。
RS170T

TL125Sイーハトーブに組み込むキットパーツとしての販売。66.0/49.5。シリンダー、ピストンの他、アルミタンクやコンペシートもあった。
RS200TS

エンデューロマシン、XR200(A) をベースにタンク・シート一体型シェルターを被せてトライアル入門用とした車両。三つ又にトライアル・オフセットもなく、ミッションレシオもXRそのままであった。ボア/ストロークは65.5/57.8。当時TL200RIIが45万円であったのに対して32万円と安価ではあったが、ほとんど売れなかった。
RS200T

TL200RIIのマイナーチェンジ(ほとんど名称変更にとどまる)版。66.0/57.8。
RS220T

RS200Tを排気量アップしたモデル。66.0/65.0。
RS250T

RS200/220Tの排気量アップに加え、各部に大幅な変更を加えて戦力をアップした、リヤ2本ショック最後のコンペモデル。70.0/64.9。
RS250TA

TLR200/TLR250(輸出用ツインショック)をベースとして保安部品を省き、トライアル入門用とした車両。70.0/64.9。

1980年(昭和55年)には服部聖輝のRS250Tが初得点している。また、山本昌也の乗るRTL250SWは1984年(昭和59年)には世界初挑戦で6位(年間総合は21位)の成績を残している。さらに、1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)にかけては「天才少年」の異名をとったエディ・ルジャーン(当時20歳)がRS360Tで総合優勝し(しかも4ストロークによる初の総合優勝)、ホンダのトライアル第1期黄金時代を築く。


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