ホンダ・シティ
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ホンダ・シティ
概要
別名
ジャズ(初代)
フィットアリア(4代目の日本国内向け)
バラード(5代目)
グレイス(6代目の日本国内向け)
製造国 日本(初代&2代目)
タイ(3代目)
パキスタン(4ドアセダンのみ)
販売期間1981年-
ボディ
ボディタイプ2ドアカブリオレ(初代)
3ドアハッチバック(初代、2代目)
4ドアノッチバックセダン(3代目以降)
5ドアハッチバックセダン(7代目)
系譜
先代なし
後継ホンダ・ロゴ(日本国内)
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シティ(CITY、鋒範)は、本田技研工業が生産・販売している小型自動車である。

また、本項では下記のモデルについても便宜上記述する。

シティ プロ(初代商用バンモデル)

シティ ハッチバック(7代目以降のモデル)

グレイズ(6代目以降のモデルの中国市場専売モデル)

概要

1.2L級の小型車であった初代シビックは、1979年の2代目へのフルモデルチェンジによって1.5L級へとクラスアップし、車体も大型化された。このため初代シビックのポジションであった1.2L級の穴を埋めるべく、シビックよりも廉価な小型車が開発されることになった。当時、ホンダは軽乗用車事業から一時撤退していた[注 1]ことや、他社に比べて小規模なディーラーを抱えており、低価格の小型車を必要としていた背景もあった。

このような経緯から1981年に発売されたのが初代シティである。設計に際しては小型車の欠点である居住性を補うため、当時の乗用車ではタブーとされていた全高の高いスタイルを採用した[1]が、「トールボーイ」と呼ばれる斬新なデザインから話題を呼び、一大ブームを巻き起こした。

1986年には2代目にフルモデルチェンジしたが、初代のようなヒット作とはならず、1995年をもって日本国内ではモデル廃止となった。シティが受け持っていた販売マーケットは、ロゴを経てフィットが継承している。

日本国内でのモデル廃止後、1996年には新興国向けのBセグメントクラスに相当する4ドア小型セダンとして車名が復活した(通算3代目)。日本では4代目がフィットアリア、6代目がグレイスとしてそれぞれ導入された。
初代 AA/VF型(1981 - 1986年)

ホンダ・シティ(初代)
AA/VF型
シティRタイプ
シティ ターボ II
シティ カブリオレ
概要
別名欧州 : ホンダ・ジャズ (ハッチバック)(初代)
ターボII:ブルドッグ
製造国 日本
販売期間1981年 - 1986年
ボディ
乗車定員シティ:5人
シティプロ:2/5人
ボディタイプ3ドア ハッチバック
2ドア カブリオレ
エンジン位置フロント
駆動方式前輪駆動
パワートレイン
エンジンER型(NA):1.2L 直4 SOHC CVCC
ER型(T/C):1.2L 直4 SOHC CVCC
最高出力ER型(NA):67PS/5,500rpm
ER型(T/C):100PS/5,500rpm
ER型(T/C I/C付き):110PS/5,500rpm
全てグロス値
最大トルクER型(NA):10.0kgf・m/3,500rpm
ER型(T/C):15.0kgf・m/3,000rpm
ER型(T/C I/C付き):16.3kgf・m/3,000rpm
全てグロス値
変速機5速MT/3速ホンダマチック/副変速機付き4速MT
サスペンション
マクファーソンストラット
後マクファーソンストラット
車両寸法
ホイールベース2,220mm
全長標準:3,380mm
ターボII/カブリオレ:3,420mm
全幅標準:1,570mm
ターボII/カブリオレ:1,625mm
全高標準/ターボII:1,470mm
ターボ:1,460mm
ハイルーフ:1,570mm
車両重量655-745kg
その他
燃費EIIIタイプ:24.0km/L
ターボ:18.6km/L
ターボII:17.6km/L
全て10モード
販売終了前月までの新車登録台数の累計31万1,799台[2]
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1981年11月11日に発売。「トールボーイ」と呼ばれるユニークな背の高い[注 2]デザインを採用し、斬新なブランドイメージから人気車種となった。折り畳んで荷室に収納できる50ccバイクモトコンポも同時に発売された。

搭載されたエンジンは、COMBAX(COMPACT BLAZING-COMBUSTION AXIOM:高密度速炎燃焼原理)エンジンと名付けられた1.2Lの「ER型」。同時に商用バンとしてシティプロも発売された。乗車定員は「T」が2名で「F」が5名。

1982年8月25日に、低燃費仕様の「EI」を追加。クラストップの低燃費 21.0km/L(10モード)を実現。

1982年9月20日に、ターボチャージャー付きの「ターボ」を追加。外観ではボンネットにパワーバルジが追加された。

2017年現在の軽自動車よりも全長が短く[注 3]車重も軽い車でありながら、最高出力100PS/5,500rpmというスペックであり、そのルックスに加速とパワーが加わった事から当時の若者を中心に人気を博した。エンジンには、ホンダ独自の電子燃料噴射装置「PGM-FI」が初めて採用された[3]


1982年11月26日に、ハイルーフ仕様の「マンハッタンルーフ」を追加。
オプションで「マンハッタンサウンド」[注 4]もしくは電動サンルーフが設定された。

1983年10月26日に、インタークーラーターボ付きの「ターボII」(ブルドッグ)を追加。
インタークーラーの追加により、最高出力は110PS/5,500rpmとなった。エンジン回転数が3,000rpm以下の時にアクセルを全開にすると、10秒間だけ過給圧が10%アップする「スクランブルブースト」と呼ばれる機能も装備されていた。

外観はボンネットのパワーバルジが大型化、ドアミラーの装備、ダイナミックフェンダーと称した大型のフェンダーを前後に装備、フロントバンパーのライセンスプレートの位置も助手席側に移動して設置されるなど押し出しの強いスタイリングとなり、この意匠はのちに登場するカブリオレにも引き継がれた。また、このモデルによるワンメイクレースは人気を集め、1/1タカラチョロQ号の参戦などでも話題となった。


1984年7月4日に、オープン仕様のカブリオレを追加。

国産車では同社のS800以来14年ぶりとなるオープンカーで、ピニンファリーナが幌の設計を手がけ、岐阜県の東洋工機(後のパジェロ製造)で生産されていた。日常の使用にも耐えうるデザインということもあり、マツダ・ロードスターが発売されるまで、国産オープンカーの中でもトップクラスの販売台数だった。また少量生産の特徴を生かし、当時としては非常に多い、12色ものボディーカラーが用意された。


1985年3月14日に、量産車で世界初のF.R.M.アルミコンロッドを採用した低燃費仕様の「E III」を追加。クラスでも上位の低燃費 24.0km/L(10モード)を実現。

1985年3月、シティU発売。4速MTとホンダマチック仕様。前期型Rと共通のバンパーに後期型グリル、テールゲートの「CITY」のみのデカールなどが特徴。

1985年4月24日に、副変速機付4速MTの「ハイパーシフト」を追加。

ハイ・ローの2段副変速機は、走行状況に応じて2・3・4速で自動選択される。このため実質変速段数は7速となる。


ヨーロッパでは1982年から1986年の間販売されたが、「CITY」の商標がすでにオペルに所有されていたため、Honda Jazzの名で販売された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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