ホンキー・トンク・ウィメン
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「ホンキー・トンク・ウィメン」
ローリング・ストーンズシングル
初出アルバム『スルー・ザ・パスト・ダークリー (ビッグ・ヒッツ Vol.2)
B面無情の世界
リリース 1969年7月4日
1969年7月5日
規格シングル
録音ロンドンオリンピック・スタジオ1969年3月10日 - 11日
ジャンルロックスワンプ・ロック、ルーツ・ロック、
時間3分02秒
レーベル デッカ・レコード
ロンドンレコード
作詞・作曲ジャガー/リチャーズ
プロデュースジミー・ミラー
チャート最高順位


1位(4週連続、Billboard Hot 100

1位(5週連続、イギリス)[1]

ローリング・ストーンズ シングル 年表

ストリート・ファイティング・マン
(1968)ホンキー・トンク・ウィメン
(1969)ブラウン・シュガー
(1971)

ミュージックビデオ
「Honky Tonk Women」 - YouTube


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「カントリー・ホンク」
ローリング・ストーンズ楽曲
収録アルバム『レット・イット・ブリード
リリース1969年12月5日 (1969-12-05)
録音1969年6月 (1969-06)、10月
ジャンルカントリー・ロック
時間3:10
レーベルDecca/ABKCO
作詞者ジャガー/リチャーズ
プロデュースジミー・ミラー
レット・イット・ブリード』収録順

むなしき愛
(2)「カントリー・ホンク」
(3)リブ・ウィズ・ミー
(4)

「ホンキー・トンク・ウィメン」(Honky Tonk Women)は、ローリング・ストーンズの楽曲。作詞作曲はミック・ジャガーおよびキース・リチャーズ1969年7月にシングルとしてリリースされ、イギリスアメリカ他数か国で1位を記録。「サティスファクション」、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」と並び、バンドの代表作の一つとされる。
解説

ブライアン・ジョーンズの後任ギタリストミック・テイラー初参加曲。そのためジャケットには、新メンバーとなったテイラーも写っている。基本的に3分程度の尺だが、収録された盤によってピッチが一定していないため、長さに2?4秒程度のばらつきがある。カントリーミュージック風にアレンジされ、歌詞も若干異なるバージョンがあり、そちらはアルバム『レット・イット・ブリード』に「カントリー・ホンク」のタイトルで収録されている。録音やリリースの順番は「ホンキー・トンク・ウィメン」の方が先だが、作曲の段階では「カントリー・ホンク」のバージョンがオリジナルで、そこから発展したのが「ホンキー…」である[2]。先行シングルがアレンジされた上に改題され、その後オリジナル・アルバムに収録されるという例は、ストーンズ史上この曲のみである。この曲はアメリカ南部のスワンプ・ロック[3]の強い影響を受けて、制作された。歌詞は「ホンキー・トンク・ウィメン」ではテネシー州メンフィスのバー(安酒場)で、ジン漬けのクイーンに出会うという内容となっている[4]。歌詞カードの山本安見訳では「I laid a divorcee in New York City」を「おいらニューヨーク離婚してきたばかり」となっているが、正しくは「おれはニューヨークでバツイチ女と寝た」である。

オリジナル・アルバム未収録曲で、シングルリリースから2か月後に出されたベスト・アルバムスルー・ザ・パスト・ダークリー (ビッグ・ヒッツ Vol.2)』で、アルバム初収録となった。以降、多くのストーンズのコンピレーション・アルバムに収録されている。
経緯

曲は、ジャガーとリチャーズが1968年12月に旅行で訪れたブラジルのとある牧場で書いた[2]。リチャーズがタイトルとギター・リフ、サビを作り、残りをジャガーが補うという、当時の彼らの典型的な作曲方法で書かれた[5]。リチャーズは元々、この曲をハンク・ウィリアムズやジミー・ロジャースっぽくしようと考えていたが、もっとファンキーになるようにバンド内でいじくり回していたところ、シングル・バージョンのような形になったという[6]。この曲は、リチャーズの代名詞となる5弦オープンGチューニングが初めて採用された例でもある[7]。リチャーズはこのオープンGチューニングを、アルバム『レット・イット・ブリード』の録音に参加したライ・クーダーから教わったというが、その後クーダーはストーンズに自身の曲を盗まれたと主張し、以降ストーンズとは一切の接触を断った[8]。リチャーズはクーダーの主張を否定している[9]

「ホンキー・トンク・ウィメン」は、まず1969年3月に、ロンドンオリンピック・スタジオで最初の録音が行われた[10]。当時はジョーンズがまだバンドに在籍していたが、彼はこのセッションのほとんどを欠席しており[11]、ジョーンズがこの曲の録音に関わっていたかどうかは不明である。その後、同年5月30日から6月5日にかけて完成テイクが録音された[10]。ミック・テイラーはこのセッションから参加するようになったが、テイラーによれば、彼が参加したころにはもうすでにこの曲はほぼ完成に近い形になっていたという[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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