ホワッツ・ゴーイン・オン_(曲)
[Wikipedia|▼Menu]

「ホワッツ・ゴーイン・オン」
マーヴィン・ゲイシングル
初出アルバム『ホワッツ・ゴーイン・オン
B面ゴッド・イズ・ラヴ
リリース1971年1月20日[1]
規格7インチ・シングル
録音1970年
ジャンルR&Bソウル
時間3分40秒(アルバム)
3分56秒(シングル)
レーベルタムラ / モータウン
作詞・作曲マーヴィン・ゲイ、アル・クリーヴランド、レナルド・ベンソン
プロデュースマーヴィン・ゲイ
チャート最高順位


2位(アメリカ・1971年[2]

80位(イギリス・1983年[3]

マーヴィン・ゲイ シングル 年表

The End Of Our Road
(1970年)ホワッツ・ゴーイン・オン
(1971年)マーシー・マーシー・ミー
(1971年)


テンプレートを表示

「ホワッツ・ゴーイン・オン」(原題:What's Going On)は、アメリカ合衆国歌手マーヴィン・ゲイ1971年に発表した楽曲。作詞・作曲はゲイ、アル・クリーヴランド(モータウンのスタッフ)、レナルド・ベンソン(フォー・トップスのメンバー)の3人による[1]
背景

共作者の1人ベンソンは、サンフランシスコで反戦運動を行っていた若者と警官隊の衝突を目撃し、それを元に歌詞を書き始め[4][5]、クリーヴランドの協力も得るが、この時点ではタイトルは決まっていなかった[4]。そして、この曲を聴いたゲイがタイトルを考え、歌詞を追加し、更にメロディの装飾も加えた[4]。ゲイ自身は後年、当時の心境について、自分の周りの社会情勢とベトナム戦争に出征していた弟からの手紙から強い影響を受けたと語っている[4]。そして、1970年6月にレコーディングが開始された[4]

バック・コーラスは、ゲイ自身のオーバー・ダビングに加えて、当時デトロイト・ライオンズに所属していたアメリカンフットボール選手のメル・ファー(英語版)、レム・バーニー(英語版)も参加した[4]
リリース

レコーディング終了後、モータウンの社長ベリー・ゴーディはこの曲を嫌い、シングルのリリースを拒否した。当時モータウンの重役だったハリー・バークによれば、当時ゴーディはエドウィン・スターの「黒い戦争」やテンプテーションズの「ボールズ・オブ・コンフュージョン」といった政治的な曲のリリースを許可しており、「ホワッツ・ゴーイン・オン」が拒否された原因は政治的主張でなく「彼は単にこの曲が嫌いだったんだよ。サウンドを古臭く感じた上に、彼はディジー・ガレスピー風のスキャットを嫌っていた」とのことである[4]。また、モータウン社内全体でも良い反応は得られなかったが、スティーヴィー・ワンダーだけはこの曲を擁護したという[5]。しかし、ゴーディがダイアナ・ロスの売り出しに注力していた隙を突いて[5]、バークの判断によりシングルのリリースが決行された[4]
反響

初回プレス盤10万枚はすぐに売り切れ、ゴーディも考えを改めて再プレスの指示を出した[4]。そして、アメリカではBillboard Hot 100で3週にわたり2位、『ビルボード』のR&Bシングル・チャートで5週にわたり1位となり[1]、当時のモータウンとしては最速の売り上げを記録した[4]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:50 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef